フランスを駆け抜けたモナコ旋風 三つどもえの優勝争いを制した4つの理由

木村かや子

クラブ史上8度目、17年ぶりのリーグ優勝

ファルカオ(右)ら実力者に加え、ムバッペ(中央)ら若手が台頭したモナコが17年ぶりにリーグ優勝を果たした 【写真:ロイター/アフロ】

 現地時間5月17日、未消化だった第31節サンテティエンヌ戦で勝利(2−0)を収めたASモナコが、最終節を待たずして、クラブ史上8度目、17年ぶりのリーグ1優勝を遂げた。世界的には無名の若いパワーに、ラダメル・ファルカオら数人の実力者を加えた、波に乗るイキのいい集団――それが、モナコのイメージだ。この日のモナコは、今季リーグで107ゴールを決めたチームの特色を映すように、アディショナルタイムに追加点を入れて試合を華やかに締めくくり、ホームのファンの前で優勝を祝った。

「これは私の監督人生で最も大きなタイトルだ。われわれは11カ月の間、本当に多くのハードワークを積み、ついにタイトルという最高の収穫を刈り入れることができた。優勝候補ではなかったチームでリーグ優勝を遂げるというのは、本当に大きなことだ。モナコがチャンピオンになるというのは、パリ(・サンジェルマン/PSG)がチャンピオンになることの4倍の価値がある」

 普段はあまり顔に感情を表さないモナコのレオナルド・ジャルディム監督は、涙で目をうるませながらこう言った。

 無尽蔵の財力を持つカタールの財団がPSGのオーナーとなり、2012−13シーズンに新政権で最初の優勝を遂げて以来、PSGのリーグ優勝はフランスの“通常”となった。しかし今季はタイトル争いが、中国と米国の投資団体からの財力を得てパワーアップしたニース、PSG、そしてモナコの三つどもえという、これまでにない混戦状態に。そしてその激戦を勝ち抜いたのが、若いパワーで旋風を巻き起こし、その過程でチャンピオンズリーグ(CL)ベスト4進出までやってのけた、モナコだったのである。

 昨年も3位でリーグを終え、強豪の一角ではあったが、PSGを倒すまでに見えなかった。モナコが今年爆発したのはなぜなのか。その理由を探ってみよう。

ムバッペ、メンディら若い才能の開花

メンディ(右)やムバッペが絡む左サイドからの高速アタックは脅威だ 【写真:ロイター/アフロ】

 今期のリーグで第6節から第19節まで首位を走っていたのは、夏に元イタリア代表のマリオ・バロテッリを獲得したニースだった。しかしモナコは、ニースの息切れに乗じ、第20節に首位に浮上。そこから最終節まで、一度も首位の座を手放さなかった。そしてこの後半戦でモナコのモーターとなったのが、20歳そこそこの若い選手たちだったのである。

 17年にCLが佳境に入ったあたりでのモナコのレギュラーを見ると、ベンジャマン・メンディ(22歳)、トーマス・ルマール(21歳)、ティエムエ・バカヨコ(22歳)、ベルナルド・シウバ(22歳)、ファビーニョ(23歳)、キリアン・ムバッペ(18歳)と、23歳以下の選手が6人もおり、24歳まで入れると実に8人にも及ぶ(ジェメルソンとジブリル・シディベ)。そして若手たちは、若さからくる怖いもの知らずのエネルギーや体力に加え、驚くべき成熟度と質も備えていた。

 中でも最も目を引いたのが、今季リーグで15得点、CLで6得点、国内カップ戦を含めトータルで26得点をたたき出し、アタックの“必殺の武器”と化したムバッペだった。

 16年の秋に、ベンチ要員だったムバッペが、高速ダッシュと高い得点力で浮上したとき、多くの専門家たちが、「こいつは化けるぞ」とささやいた。並外れた加速力を持ち、アシストもでき、頭でも足でも、ドリブルからでも、ゴールマウスに飛び込む形でも得点できる。何よりフィニッシュ前の冷静さ、判断力、技術に、末恐ろしいものが見えたのだ。

 CL準々決勝ドルトムントとの第1戦で79分に決めたゴールなどは、そのいい例だろう。独走状態に入ったムバッペは慌てる様子もなく、GKとDFの位置を確認し、絶妙のタイミングでシュートを決めた。今や彼は、「ティエリ・アンリ以上」と呼ばれている。また若いが頭もしっかりし、地に足の着いた選手であるようにも見える。

 しかしモナコの強さは、ムバッペ1人ではなく、同様の高い身体能力を誇る若手を3〜4人そろえていたことだ。サイドアタックのスピードで目覚ましいものを持つ左サイドバック(SB)のメンディの成熟度とパスの精度は、この1年で著しく向上した。ここに左ウイングのルマール、ムバッペが加わると、左サイドの攻撃はこの上なくシャープな“剣”となる。CL決勝トーナメント1回戦マンチェスター・シティとの第2戦の1点目は、この複数の才能が連係した典型的なものだった。

 恐るべき身体能力を誇る3人が、入れ替わりながら高速アタックを仕掛け、早い時間帯に数点をもぎ取る、というのがモナコの得意なパターンなのだ。

育成に定評のあるモナコ

育成に定評のあるモナコ。ポルトガル人のベルナルド・シウバもユース出身 【写真:ロイター/アフロ】

 モナコには2つの顔がある。外国人選手にとっては無税であるため、やや高齢となった有名選手が出稼ぎに来ることでも知られるが、かなりの育成クラブであることも、言っておかねばならない。特徴は、育成リクルートの対象が、フランスだけでなく国外にも及んでいることだ。

 アトレティコ・マドリーに移籍したヤニック・カラスコ(ベルギー)や、現メンバーのシウバ(ポルトガル)もモナコのユース部門上がりであり、フランス人ではムバッペ、現PSGのレイバン・クルザワなどもモナコの育成育ちだ。

 モナコは11年にリーグ2に降格して2年を過ごしているのだが、降格前のシーズンは、ほぼ下部組織上がりの若手だけで乗り切ろうとした年だった。モナコは、育成を基盤にする方針を10年以上も保ち続けている。それだけでは十分ではないということで、そこに数人のトップ選手を加え、大規模に強化しようとした。それが、1部に昇格した13年、鳴り物入りでファルカオが、またハメス・ロドリゲスやジェレミー・トゥラランらがやってきた年だった。

 彼らは13−14シーズンをPSGに次ぐ2位で終えたが、タイトルを狙えるほど王者を脅かすことができなかった。しかし、この年に始まった若手と実力のあるベテランをうまくミックスするという新体制の試みが、ついに実を結んだのが3年後の今回だったとも言える。ローマは一日にしてならず。物事を成し遂げるには、それなりに時間がかかるのである。

ファルカオの復活と新しいリーダーシップ

復活を遂げたファルカオ。ゴールを挙げるだけでなく、リーダー的役割を果たすようになった 【写真:Maurizio Borsari/アフロ】

 勝因の2つ目が、ファルカオの生まれ変わったような活躍と、チームへの融合ぶりだ。若手の爆発は秋以降に起こったのだが、シーズン開始時からモナコの前線を預かり、しっかり得点を重ねていたのが、ファルカオとバレール・ジェルマンのベテランFWだった。

 13年に加入した当時のファルカオは、たとえばかつてのクリスティアン・ビエリのように、無税の国に1〜2年稼ぎに来ただけの「外人傭兵」というムードを醸しており、あまりチーム愛があるようには見えなかった。実際、カップ戦で大けがをしたのちに、期限付き移籍とはいえイングランド(マンチェスター・ユナイテッドとチェルシー)に去ってしまった。

 しかしイングランドでのパッとしない経験を経て出戻ったファルカオは、今季、別人のようにチームに溶け込み、みるみるうちにチームリーダーとなっていくのである。

「モナコに戻ると決めたのは、本来のプレーレベルを取り戻すため、継続性をもってプレーすることが必要だったからだ。腰を落ち着けて多くの試合でプレーしたいと感じていたとき、モナコが扉を開いてくれた」とファルカオは明かす。故障の苦しみを経て、人間的にも成熟したと自負するファルカオは、シーズンの初めから、このチームの主力FWだった。

 もともと実力のあった彼が、モナコで連戦する中で調子を上げ、今季はリーグ戦で21ゴール挙げて得点ランキング3位に。好機を逃さない臭覚、必要なときにゴールをもぎ取る得点力で、若い選手たちをその行動で統率するキャプテンとして、リーダー的役割を果たすようになった。

「クラブは僕に信頼を授けてくれ、僕は積んできた経験をチームにもたらし、若いグループを助けた」とファルカオは言う。各地を転々とした後、家族ともども、今モナコに安住の地を見いだしたという彼は、こうも証言した。

「チームは団結し、雰囲気もいい。僕らがこうもいいシーズンを送れたのも、チームスピリットがいいからなんだ」

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著者プロフィール

東京生まれ、湘南育ち、南仏在住。1986年、フェリス女学院大学国文科卒業後、雑誌社でスポーツ専門の取材記者として働き始め、95年にオーストラリア・シドニー支局に赴任。この年から、毎夏はるばるイタリアやイングランドに出向き、オーストラリア仕込みのイタリア語とオージー英語を使って、サッカー選手のインタビューを始める。遠方から欧州サッカーを担当し続けた後、2003年に同社ヨーロッパ通信員となり、文学以外でフランスに興味がなかったもののフランスへ。マルセイユの試合にはもれなく足を運び取材している。

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