「サッカーどころ」藤枝のプロクラブ J2・J3漫遊記 藤枝MYFC編

宇都宮徹壱

藤枝市はなぜ女子サッカーに力を入れるのか?

サッカーのまち推進課の渡邉剛課長。藤枝東時代は1学年下の中山雅史とプレーしたという 【宇都宮徹壱】

「全国自治体職員サッカー選手権大会」という大会をご存じだろうか。その名のとおり、全国自治体のサッカー部48チームがトーナメントで優勝を争う大会で、71年から毎年行われている(11年は東日本大震災のため中止)。この大会で最多30回の優勝を誇るのが、藤枝市役所である。実は藤枝市役所は、自治体チームでありながらJSL2部にも参戦していた歴史を持つ(88−89シーズン)。今季は東海リーグ2部に降格したが、それでも彼らが「日本最強の自治体サッカー部」であることに変わりはない。

「練習ですか? 毎週火曜日から土曜日までやっています。それで日曜日は試合。それだけやっているからトップを保てるんだと思います。今年は(東海)2部に落ちてしまいましたが、職場で応援してくれる人は多いですね」

 そう語るのは市役所のサッカーのまち推進課課長、渡邉剛である。渡邉は藤枝東出身で、今は第一線を退いたものの長年にわたり市役所のサッカー部でプレー。ちなみにゴンこと中山雅史の1年先輩で、高校時代は3トップの一角として一緒にプレーしたそうだ。私が市役所を訪れた理由は、当地における「サッカーによる地域創生」をどう捉えているのか、そして藤枝MYFCをどう見ているのかを知るためである。

「静岡には他にも『サッカーのまち』はあるわけですが、その差別化としてわれわれは女子サッカーに力を入れています。藤枝には藤枝順心高校という女子サッカーの名門がありますし、藤枝MYFCの女子チームであるルクレMYFC(東海2部)やアスレジーナ(県1部)もあります。ここでプレーをしていた選手が、引退後に藤枝に定住して家庭を作ってくれたら、藤枝の人口増加にもつながります。われわれはそこまで見据えています」

 では、わが街のJクラブに対する見方はどうか。たとえばスタジアム。現時点で藤枝MYFCはJ3ライセンスしか持っていない。将来のことを考えて、改修工事の予定はあるのだろうか。その必要性は感じながらも、渡邉の答えはいささか歯切れの悪いものとなった。

「今のスタジアムは03年の静岡国体のために作られたものです。もう14年が経過していますので、再整備の計画はあるにはあります。ただしライセンス獲得のための改修となると、今すぐという話にはならないでしょうね。固定席とか照明とか電光掲示板とか、いろいろとお金のかかる話ですから。まずは上位を狙えるようになること。そしてお客さんを増やしていくこと。(クラブに対しては)そういったところをお願いしたい。そこから機運が高まっていけば、という話でしょうね」

藤枝生まれ、藤枝育ちのクラブ社長が目指すもの

藤枝MYFCの小山淳社長は藤枝東出身で、アンダー世代の日本代表にも選出された経歴を持つ 【宇都宮徹壱】

 藤枝取材からおよそ2週間後、藤枝MYFCの代表取締役社長、小山淳と都内で会うことができた。本当は現地で話を聞きたかったのだが、折悪しく「海外出張中」ということで、上京中にインタビューの時間を作ってもらった。

 小山は、76年生まれの40歳。藤枝生まれの藤枝育ちで、藤枝東では山田暢久の1年後輩にあたる。世代別の日本代表にも選ばれるほど将来を嘱望されたが(U−15日本代表では中田英寿ともチームメートだった)、早稲田大学在学中の骨折が原因でキャリアを絶たれて大学も中退。その後、世界一周の旅を経て起業し、09年に藤枝MYFCを立ち上げる。かなり端折って書いたが、実に波乱万丈の半生である。

「地元に特色のあるプロクラブを作りたい。そういう強い思いで藤枝MYFCを立ち上げました。ただし、藤枝は本当に大変なんです。いわゆる『高校サッカー文化』が強くて、藤枝東の上にクラブができることを好まない人が一定数いる。実際、僕が地元に戻ってJクラブを作ると宣言したとき、これほど反対されるとは思いませんでしたから(苦笑)」

 スタートは静岡県1部。翌10年、東海リーグ1部の静岡FCと合併して、一気にカテゴリーを2つ上げる。11年の地域決勝(全国地域リーグ決勝大会)を突破して12年にJFL昇格。そして14年にはJ3の創設メンバーに名を連ねることとなった。クラブ設立から5年でJクラブとなったのは、かなりのスピード出世である。しかし、ここからJ2より上を目指すのは、かなりの時間がかかりそうだ。その事実を十分に認識した上で、小山は「将来J2に昇格すれば、このクラブは変わる」という確信を抱いている。

「まず集客。これまで静岡の人はJ2なんて見向きもしなかった。でもジュビロやエスパルスが降格したことで、J2を見る目は明らかに変わりましたね。ですから、われわれもJ2に上がれば、きっと注目度が上がるはずです。それから戦力。『なぜ藤枝東のOBを入れないの?』とよく聞かれますけれど、プロになりたい子はみんなJ1を目指します。ウチなんか眼中にないですよ(笑)。これについても、J2に上がれば少しは変わるでしょうね」

 とはいえ、急いでJ2に昇格するつもりもないようだ。まずはじっくり時間をかけながら、経営を安定させつつ地域に根を下ろすこと。「藤枝東のサッカーは1924年に始まっていますから、今年で93年。ウチはやっと8年ですから」という小山の言葉に、長期戦を辞さない強い覚悟が感じられる。しかし一方で「藤枝東のファンが、有料試合で1500人集まるかといえば、やっぱり難しいですよ。少なくとも、ウチはそれができている」という確かな手応えもある。「サッカーどころ」であるがゆえに、プロクラブが生まれにくい土地であった藤枝。それでも変化の兆しは、確実に見て取れる。

<この稿、了。文中敬称略>

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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