引退の村上佳菜子、決断は昨年の全日本 「すべてにおいて限界感じた」

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コーチからはソチ五輪後に引退打診

最後の演技では一瞬涙ぐむ場面もあったが、すぐに笑顔を取り戻した 【坂本清】

――19年間続けてきて、どんなスケート人生だったと思うか?

 私のスケート人生は浮き沈みの激しい、落ち着きのないスケート人生だったと思いますけれど、そんな自分を先生や応援をしてくださる方が支えてくれて、ここまで頑張ることができました。五輪にも出ることができたので、本当に感謝しかないです。

――以前、先生になりたいという話もしていたが?

 滑れるうちはアイスショーで魅せていきたいという気持ちが強いんですけれど、その間に先生たちのお手伝いをさせてもらって勉強して、いずれは五輪に選手を連れていける先生になりたいと思います。

――限界だと思ったのは体だったのか、それとも気持ちだったのか?

 両方かもしれないです。昨シーズンと今シーズン、たくさん練習をやってきたんですけれど、結果につながらなくて、すべてにおいて限界を感じていました。できないからやらないといけないのに、やればやるほど、できないのに体に痛いところが出てきてしまったりもして、すごい苦しかったなというのはあります。

――女子もジャンプの難度が上がっていく中で戦っていくのは難しいと感じた?

 自分には表現があると思いましたけど、今のフィギュアスケート界はレベルが上がっているので、それだけでは厳しいなというのは感じました。

――(コーチの山田)満知子先生に引退の話をしたときには、どういう反応だった?

 先生は、ソチ五輪が終わった段階で「辞めたほうがいい」と言っていて(笑)。だけど自分の中で心残りがずっとあったので、「続けたい」と言って続けてきたんですけれど、「今回最後にする」と言ったら「その方がいい」と言っていました(笑)。でもさっきも電話して「お疲れ様」と言ってくださったし、先生からも愛されているなと。反抗期のときは感じなかったですけど、今は感じます。本当に周りの人に恵まれていたなと思います。

今後は「人としても愛される後進を育てたい」

今後は指導者を目指していくという村上。山田満知子コーチの教えを継いでいきたいと語った 【坂本清】

――現役を辞めるという決断をする特別なきっかけはあったのか?

 毎年、毎年「これが最後だ」と思って、ソチのあとはやってきたんですけど、今回は全日本が終わって、張り詰めていたものがぴんと切れた感じで、「これで終わりだ」と思ったんです。演技が終わったあとが決め手だったと思います。

――満知子先生から一番学んだことは?

 先生には育てられたと言っても過言ではないくらい、先生に付きまとってやってきたので、スケートだけではなく、人としてもいろいろなことを教えてもらったし、「愛されるスケーターになりなさい」と小さいころから言われてきたので、自分もコーチになったときは、スケートだけではなく、人としても愛される人間に育てたいです。自分がそうなっているかは分からないんですけれど(苦笑)。そういう先生の教えを継いでいければと思います。

――プロとして見せたいものとは?

 表現することがすごく好きなので、どんなジャンルでもできるよというところを見せたいです。競技だとジャンプが入るので、それだけではなく芸術的なところ、得意なところを磨いて、プロとして皆さんの心に残る演技をしたいと思っています。

――競技者としての村上選手はどういうスケーターだったと思うか?

 本当に手のかかるスケーターだったなと自分でも思いますし、ここぞというときに失敗してきて、皆さんにも迷惑をかけてきたので、そこは本当に申し訳なかったなと思うんですけど、五輪にも出させていただけたし、いっぱい成長させてもらったなと思います。

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