U−20代表が“道場破り”で得た成果 久保は完全に戦力として計算できる存在に

川端暁彦

ドイツとの試合で浮き彫りになった積年の課題

ドイツとの一戦は日本サッカーにとって積年の課題が浮き彫りになる敗戦となった 【川端暁彦】

 4試合で積み上げた内容面でも成果はどうだったか。最重要と位置付けていたドイツとの第2戦は、ボールを支配して押し込む時間帯も作りながら、1−2の敗戦。2点を失ってから、アディショナルタイムに1点を返すのが精いっぱいという負けゲームの流れにハマってしまった。サブメンバー中心のドイツは「イングランドはもっと強かった」(冨安)という感触もある相手だったのだが、同時に何とも“ありがち”な負け方でもあった。

 ボールを持った状態で低い位置でボールを奪われた上に、攻から守への切り替えで生まれた隙を突かれ、ゴール前での粘りも欠いた1失点目、一瞬のコミュニケーション不足からエアポケットのような間が生まれたところを使われ、最後は日本だとなかなか決まらない距離からのシュートをたたき込まれた2失点目。どちらも反省材料の多い失点だった。チャンスの数で言えば、日本が少し上という試合だったのだが、「やっぱり決定力がまるで違う」(冨安)伝統国の力を思い知らされる流れでもあった。

 中盤で奮戦を見せたMF原輝綺(アルビレックス新潟)も「市立船橋高校で欧州遠征をしたときもそうだったのですが、(ドイツは)こちらが押している試合でも確実に1本を決めてくるし、ああいうチャンスを狙っている。最後の質が高いし、勝負強い」と振り返る。世界大会に向け、あらためて日本サッカーにとって積年の課題が浮き彫りになる敗戦だった。

 内山監督は第3戦に向けて、試合開始前の時間を使ってミーティングを実施。「勝負はディテールで決まる」と説き、点を取るため、そして取られないための細かい部分の徹底をあらためて促した。日本国内やアジアの試合では、相手の決定力不足で見えてこないものを、あらためて突き付ける形となったが、「この年代は少しの言葉ですぐに変われるんだ」と指揮官が振り返ったとおり、残る2試合は守備のタスクが抜け落ちる、あるいは攻守の切り替えが遅れるといったことの少ない、締まった内容の好ゲームとなった。練習試合が課題を認識するための場だと位置付けるなら、ドイツとの試合が悔いの残る敗戦で終わったことは、かえってポジティブだったのかもしれない。

久保は全試合で得点かアシストを記録

内山監督は久保を「周りを使いながら自分も生きることで、誰よりも結果を出した」と高く評価 【写真:アフロ】

 特にスタンダール・リエージュのU−21チームと対戦した第4戦は、連戦の疲労もある中で士気高く、規律を保って戦い切ることができた。相手は典型的な欧州の育成年代にありがちなスタイルで、ボール支配にこだわることなく、個人個人が常に“一発”を虎視眈々(たんたん)と狙ってくる厄介な相手。年代別代表選手もおり、「1人1人を見れば、相手のほうが個人能力は高い」(木村浩吉・年代別代表担当ダイレクター)のは明らか。前半の終盤にカウンターからピンチになるシーンが見られるなど、少し抜けたことをすれば、ボールを支配しながら敗れる流れになることは確実な相手だった。

 だが、結果としてピンチらしいピンチは数えるほどしかなく、後半は攻めてもFW岩崎悠人(京都サンガF.C.)が巧みな動き出しから、この遠征で初先発となった15歳のFW久保建英(FC東京U−18)のアシストを受けて先制点を奪うと、久保が右サイドのセンタリングエリアからファーサイドネットを揺らす直接FKを鮮やかに沈めて、2−0。さらに最後は流れるような崩しから、FW小川航基(ジュビロ磐田)のゴールで3−0と試合を締めくくってみせた。

 この遠征全試合で得点かアシストを記録した久保は、「周りを使いながら自分も生きることで、誰よりも結果を出した」(内山監督)。彼の年齢を思えば何とも驚異的なことだが、完全に戦力として計算できる存在になった。試合の中でさまざまな選手の組み合わせやポジションのテストもできたし、強国が持つ勝負のディテールを見逃さないタフネスも体感することができた。欲を言えば、この手応えを得た流れのまま、もう1度欧州の代表チームと対戦してみたかったところではあるが、こうした欲は言い始めると切りがない。

 もう1つ大きな収穫は、内山監督が本気でU−20W杯を勝ちにいくつもりだと分かったことだ。ドイツ戦終了後、湯気を吹き出さんばかりに紅潮した表情で「勝てたよ! やれたでしょ!」と断言する様を見て、指揮官がどれほど大きな期待を選手たちに寄せているかがよく見えた。

 本大会で日本と同居する国は南アフリカ、イタリア、ウルグアイ――。まるでラクな相手のいないグループに入ってしまったのは間違いないのだが、それでも逆にワクワクしてきたと言ったら、少々言い過ぎだろうか。

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著者プロフィール

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』をはじめ、『スポーツナビ』『サッカーキング』『フットボリスタ』『サッカークリニック』『GOAL』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。近著に『2050年W杯 日本代表優勝プラン』(ソル・メディア)がある

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