ブラジルの“奇跡のクラブ”を襲った悲劇 国内外から寄せられる哀悼の意と救済
驚異的な躍進を遂げてきたシャペコエンセ
シャペコ市民の誇りであるシャペコエンセは、その驚異的な躍進から“奇跡のクラブ”と賞賛されていた 【Getty Images】
クラブは、シャペコ市民の最大の誇り。誰もがコパ・スダメリカーナ初優勝を熱望していた。それだけに、悲劇を知った市民の多くが打ちひしがれ、泣き崩れた。
南米サッカー連盟は、コパ・スダメリカーナ決勝の中止を決定。バルセロナ、レアル・マドリーなど世界各国のクラブ、アルゼンチン代表FWのリオネル・メッシ(バルセロナ)、元イングランド代表MFデイビッド・ベッカムら多くの選手や元選手が哀悼の意を表明している。
ブラジルの複数の有力クラブは来年、1部の全クラブがシャペコエンセに無償で選手を1人ずつ貸し出すことを提案。また、来年から3年間、順位にかかわらずシャペコエンセを降格させない特別措置を取ることをブラジルサッカー連盟に要請している。
ブラジルは3日間、喪に服する
手書きのボードには「きっと神様が天国でフットボールの試合をしたくなって、地上で最高のチームをお呼びになったのよね。シャペ、愛してるわ(シャペとはシャペコエンセの愛称)」とメッセージが書かれている 【Getty Images】
58年2月には、マンチェスター・ユナイテッドの選手たちを乗せた飛行機がミュンヘン空港で着陸に失敗し、乗客・乗員44人中、選手8人、クラブ関係者3人、報道関係者8人を含む23人が死亡した(「ミュンヘンの悲劇」)。マンチェスター・ユナイテッドはユーゴスラビアで、欧州チャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)準々決勝でレッドスター・ベオグラードと対戦し、準決勝進出を決めて帰国する途中だった。
死亡した選手の数からして、今回の事故は世界サッカー史上のみならず、世界スポーツ史上でも最悪の出来事ということになる。
ブラジルのミシェル・テメル大統領は、29日から3日間、喪に服することを宣言し、ラウル・ジュングマン防衛大臣は犠牲者の家族をコロンビアへ輸送し、遺体をブラジルへ移送するためにブラジル空軍の4機を提供すると発表した。
コパ・スダメリカーナ決勝でシャペコエンセと対戦する予定だったアトレティコ・ナシオナルのフアン・カルロス・デ・ラ・クエスタ会長も、「実に悲しい出来事。心からのお悔やみを申し上げたい」と沈痛な表情。「選手たちからの要望を受け、われわれは16年コパ・スダメリカーナの覇者をシャペコエンセとすることを南米サッカー連盟に提案する。チャンピオンは彼らだ」と述べた。