サッカーの王様ペレと日本の特別な関係 人生の岐路で関わった多くのジャポネース
最初と最後に愛したのは日本人
75歳のペレ(左)が25歳年下の日系人実業家アオキ(右)さんと結婚。ペレはこれまでも多くの日本人と関わりをもってきた 【写真:ロイター/アフロ】
66年に最初の結婚をして1男2女をもうけたが、78年に離婚。94年にゴスペル歌手と再婚して双生児を授かったが08年に別れており、これが3度目の結婚だ。
ペレは“恋多き男”として知られ、ブラジルの国民的人気タレント、シュッシャとの関係が噂されたこともある。過去、結婚したり交際した相手のほとんどが金髪美人。マルシアさんは、大柄でゴージャスだが血は100%日本人で、これまでの女性とは外見が異なる。このことについて、ペレ本人は、「私の人生で、最初と最後に愛した女性はいずれもジャポネーザ(日本人)なんだ」と語っている。
お隣さんサカイ家との親密なつきあい
「ペレは、体がすごく小さくて痩せていたけれど、あの頃からもう天才だった。集まった子供を二つに分けて対戦するんだけれど、彼がいる方が必ず勝つから、前半は彼にGKをさせる特別ルールがあった。でも、大差で負けていても、後半にペレが出てくるとボコボコ点を取ってあっさり逆転する。手がつけられなかった」
現在75歳のニーロは、当時を懐かしむ。
ニーロには、ネウザという2歳上の姉がいた。美人で気立てが良く、町内の男の子たちのアイドル。ペレもネウザに夢中になり、ニーロに会うという口実を作ってサカイ家に上がりこんでは、あの大きな眼でじっと見つめていた。
そんなペレの気持ちは、ネウザにも伝わったようだ。
「彼の家は決して裕福ではなかったけれど、皆、とてもきちんとした人たちでした。私たちとは家族ぐるみのつきあいで、私の両親もペレのことが大好きでした。彼が13歳で地元のバウルーACのU−17に入ると、よく試合の応援に行きました。でも、まだ子供だったし、二人だけでデートしたことはないんです」
少年時代の宿敵は日系チーム
「ドンジーニョのおかげで、私たちはどんどん上達した。ペレは父親からサッカーの手ほどきを受けており、私たちはキングと同じ指導を受けたんだ。うまくなるはずだよ」
やはり75歳の潤治は、今でも得意そうだ。
54年にバウルーACのプロサッカー部門が経営難で閉鎖されると、長澤は旧知のドンジーニョを通じてペレをノロエステへ勧誘し、口頭で了承を得ていた。しかし、その後、ペレは名門サントスFCから誘われ、55年、下部組織に加入する。ほどなくレギュラーとなり、16歳でブラジル代表に招集され、17歳で58年ワールドカップ(W杯)スウェーデン大会に出場。貴重な得点を挙げてブラジルの初優勝に貢献し、一躍、世界的なスターとなった。
W杯後、ペレはバウルーへ凱旋(がいせん)。サカイ家を訪れ、「僕のアモーレ(愛情)の証として、これを受け取ってほしい」と裏に記した写真をネウザに手渡している。
しかし、若い二人の遠距離恋愛は、永くは続かなかった。ペレはサントスで別の女性と交際するようになり、25歳のとき最初の結婚をする。翌年、ネウザもバウルー在住の日系人と結ばれた。