五輪の魔物は「味方につければいい」 進化する16歳・伊藤美誠のメンタリティー
15歳で出場した大舞台、リオ五輪。伊藤美誠が持ち帰った経験とは―― 【スポーツナビ】
五輪のメダルはドイツOPの優勝があってこそ
最初の2週間は全く卓球をせず、ひたすら取材対応やテレビ出演に追われていました。休みを取りたい気持ちもありましたけど、五輪でメダルを取ったからこそのうれしい大変さだったと思います。
――沖縄に家族旅行もされていましたね。
そう! 沖縄へ行ったのは初めてで2泊3日だったんですけど、全然足りない! できれば1週間ぐらいいたかったです。もっと遠くまで足を延ばしたかったし、私、沖縄料理が好きなんです。特に海ぶどうが大好き。あと紅芋のもちもち感とか。沖縄のおいしいものをたくさん食べてきました。
――あらためて振り返って、リオ五輪はどんな大会でしたか?
五輪に出場することは小さい頃からの夢で、小学6年生の時に20年の五輪を東京でやることが決まりました。これはもう絶対に出たいと思って、東京では優勝したいので、その前のリオ五輪はできれば経験しておきたいと考えて文集にも書きました。ただ、そのころはまだ世界ランキングが80位ぐらい。その後、50位ぐらいに上がっても、今度は40位前後を行ったり来たりで。ここから上位に上がるのが難しいと、先輩方から言われていました。でも自分では、ここを乗り越えたら勢いがつくのではないかと思っていて、実際38位の時、ドイツOP(15年3月)のシングルスで優勝してから一気に15位までランクアップしました。
――14歳152日でのシングルス優勝はワールドツアー史上最年少記録としてギネス認定もされました。
あのドイツOP優勝のおかげで今がありますし、リオ五輪のメダルにもつながったと思っています。五輪のメダルも人生を変えたかもしれないけれど、一番の始まりはドイツOPだった。当時は追う立場の勢いもありました。今はどちらかといえば追われる立場になったけど、追う立場のつもりで思い切りプレーしたいし、「追われたら、自分がもっと上に行けばいい」って、追われることを楽しめるようになれたらいいなと思います。
それぞれの選手が魔物を背負っている
リオ五輪では、福原愛(左)、石川佳純(中央)との女子団体で銅メダルを獲得 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】
ドイツのエースといわれるペトリサ・ソルヤ選手と一番手で当たって、ゲームカウント2−2で迎えた5ゲーム目を9−3でリードしながら落としました。実はソルヤ選手とは小学6年生から中学にかけてほぼ1年に1回対戦していて、リオ五輪時点での対戦成績は2勝2敗の五分でした。ソルヤ選手には去年のドイツOPの決勝で勝っていますが、簡単に勝てる相手ではありません。でも、簡単に負ける相手でもないと思って臨みました。でも9−3から逆転されてチームに流れを引き寄せることができず、悔いが残りました。
――普段のワールドツアーに比べ、ソルヤ選手が粘り強かった印象があります。五輪はやはり特別な舞台ですか?
確かに、いつもだったらもっと早く諦めているのに、と思う場面はありました。そういう意味で五輪は特別かもしれません。でも、自分は普段のプロツアーとあまり変わらなかったし、むしろ五輪のほうが雰囲気を楽しめました。でも、何が起こるかわからない怖さを知りました。選手に一人、「魔物」がついているんじゃないかなって。
――選手に一人ずつ、ですか?
はい。よく「五輪には魔物が棲(す)む」と言われて、それが悪さをするみたいなイメージがありますけど、私が感じたのはちょっと違って、それぞれの選手が魔物を背負っていて、例えばドイツとの準決勝ではソルヤ選手が魔物の力を発揮したのではないかなと。自分の場合はシンガポールとの3位決定戦。ダブルスを勝って、さらにシングルスでフォン・ティエンウェイ選手に勝てたのは、きっと私が魔物を出せたからだと思うのです。とにかく、あの勝利でチームに銅メダルを引き寄せることができて本当に良かったです。
――魔物というとネガティブな存在と受け止めがちですが、そうではない?
魔物もプラスに考えて味方につければいいと思います。五輪に出てみて分かったんですけど、五輪では神様に祈っても何も起こりません。それよりも、見えない力を借りられるとすれば、得体の知れない力を持った魔物を「ここぞ!」という時に吐き出せるかどうか、みたいな感じでした。