パラ陸上・中西を勇気付けた“米国” 東京への飛躍につながる最終試技

宮崎恵理

パラリンピックで躍動するライバルたち

1本目からライバルが世界記録を出すハイレベルな展開に、メダルを目指した中西は4位に終わった 【Getty Images】

「1本目は悪くない跳躍。2本目は記録より安全を狙い、さあ、3本目というところで助走に失敗したのが、今日の結果になってしまいました」

 現地時間9日、中西麻耶(うちのう整形外科)は、陸上競技の女子走り幅跳びT44(下腿切断など)に出場した。世界ランキング3位で臨んだ今大会。十分にメダル照準圏内だったが、結果は4位。試合後に振り返って語ったのが冒頭の言葉だ。

 2015年の世界選手権覇者のフランスの選手が1本目から5メートル75の世界新記録をたたき出す中、中西の1本目も5メートルを超える大きなジャンプだったがファウル。“安全”を狙ったという2本目で5メートル38の記録を出したが、3本目もまたファウルだった。
 3回の試技が終わると、記録によって跳躍の順番が変わり中西は、4番手でトップ3人を追う形になった。試技は全部で6本。メダルへのチャンスは残り3回だ。

 世界のライバルたちは、パラリンピックという舞台に相応しいジャンプを見せた。前述のフランスの選手は、4本目に自らが出した世界記録をさらに大きく更新する5メートル83をマーク。前回ロンドン大会の銀メダリストのイギリスの選手は5メートル64で今大会も銀メダル。そしてオランダの選手が6本目に自己ベストとなる5メートル57を跳び、銅メダルを獲得した。オリンピックスタジアムに集まった大観衆は、記録が出るたびに大歓声を挙げていた。

真に陸上へ目覚めた北京大会

 1985年生まれの中西は、08年9月14日、初めてのパラリンピックとなる北京大会で100メートルに出場し6位に入賞した。中西にとっては忘れ難い1日だった。

「ちょうど2年前の今日、自分の意志で右脚を切断しました」

 06年9月14日、中西は勤務していた塗装業の作業現場で倒れてきた鉄板の下敷きとなった。切断するか、あるいは神経の一つひとつをつないで右脚を残すか。高校時代から軟式テニスの選手としてインターハイにも出場していた中西は、地元の大分で開催される国体出場を目指していた。時間をかけて神経をつないでも、元通りに動かせる保証はない。中西の決断に迷いはなかった。

「自分から切断してくださいとお願いしました」

 義足を装着すれば、再びテニスができるようになる。一縷(いちる)の望みに賭けたのだ。しかし、実際には義足でまともに立つこともままならなかった。自分は間違っていたのか。そんな不安に押しつぶされそうな時、スポーツ用義足を使用して走る陸上競技に出会う。テニスで培った身体能力によって、中西はみるみる頭角を現していった。北京パラリンピックに出場した中西は、100メートルに続き200メートルで4位入賞。日本の義足を装着した女子選手として、この成績は快挙である。

 そして、北京パラリンピックのコールルーム(選手の招集所)でスタートを待つ間に目にしたのは、世界の強豪選手たちの堂々としたプライド。「世界を相手にするなら、世界に飛び出さなくちゃダメだ!」初めてのパラリンピックで、中西は本当の意味で陸上競技に目覚めたのだった。

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著者プロフィール

東京生まれ。マリンスポーツ専門誌を発行する出版社で、ウインドサーフィン専門誌の編集部勤務を経て、フリーランスライターに。雑誌・書籍などの編集・執筆にたずさわる。得意分野はバレーボール(インドア、ビーチとも)、スキー(特にフリースタイル系)、フィットネス、健康関連。また、パラリンピックなどの障害者スポーツでも取材活動中。日本スポーツプレス協会会員、国際スポーツプレス協会会員。著書に『心眼で射止めた金メダル』『希望をくれた人』。

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