現地紙はリオ五輪をどう見たか スラム街出身の英雄に感じる“遺産”
選手村に雑巾とほうきを持参した日本チーム
選手村の自室でくつろぐニュージーランドの選手たち。部屋によってはトラブルに見舞われることもあったようだ 【Getty Images】
リオオリンピック大会組織委員会がそろえたボランティアも十分に機能しなかった。当初、8万人のボランティアを用意するはずだったが、資金不足で5万人に減らした。さらに指示体系が十分に機能せず、ボランティアに質問しても適切な答えが戻ってこないことが多かった。しかも、ボランティアに責任感が希薄で数日勤めて辞める人も多く、その補充に四苦八苦したという。何もかもがその場しのぎの付け焼刃だと言われても仕方がないだろう。
遺産はスポーツ振興のための基盤
あいにくの天気の中、街中では閉会式の模様を大型スクリーンで見守る人々の姿もあった 【Getty Images】
出身地に凱旋(がいせん)したメダリストたちは大きくクローズアップされ、ブラジルのマスコミも英雄としてもてはやした。彼らがこれからの各競技団体の中核として後進を指導する立場になるわけだが、やはり、国や地方、企業などの支援がなければ、後継者育成もできなくなる。こうした将来を見据えて、子どもたちにスポーツをすることの楽しさを教える機会均等のシステムを作ることこそが、ブラジルにとって五輪の遺産だと言えるだろう。
東京の「おもてなし」に期待
今回、各国の選手団が心を砕いたのは選手の控室だった。どの競技施設も立派だったが、選手の控室が狭く、選手団スタッフは、選手たちがストレスを感じないようにするのが最大の関心事だった。日本のある競技団体のヘッドコーチは数カ月前に会場の控室を見て、「これでは選手がもたない」と考え、その後国内の合宿地で同じような狭いスペースに選手を入れて慣れさせた、という。今回参加した競技団体の関係者から意見を吸い上げ、細かな点もリストアップする必要があると言えるだろう。
また、観戦者に対しては、分かりやすい交通案内が必要になる。リオの場合、空港の観光案内所に数種類の英語のパンフレットが置かれていたが、地下鉄や専用バスなどの所要時間が明記されておらず、ホテルで聞かなければ分からなかった。リオでは、地下鉄や高速専用バスなど数本しかない場所でも混乱していた。東京のように、地下鉄だけでも10路線以上あるような土地では、分かりやすい案内書を作る必要があるだろう。