現地紙はリオ五輪をどう見たか スラム街出身の英雄に感じる“遺産”

サンパウロ新聞

選手村に雑巾とほうきを持参した日本チーム

選手村の自室でくつろぐニュージーランドの選手たち。部屋によってはトラブルに見舞われることもあったようだ 【Getty Images】

 運営面でも、不手際が目立った。開幕寸前に選手村に入ろうとしたオーストラリア選手団が、ガス漏れや水洗トイレの不具合から入村を拒否する騒ぎとなった。突貫工事で修理を行い事なきを得たが、問題はそれだけではなかった。選手村で盗難が相次いだのだ。リオオリンピック大会組織委員会の運営・管理がやり玉に挙げられたのだが、選手村の各部屋にはベッドとビニール製の簡単な洋服ケースしかなく、冷蔵庫やいす、机すらなかったという。サンパウロで事前合宿をしていた日本のある選手団は、リオの選手村に入るに際して、サンパウロで折りたたみ式の机といす、雑巾とほうきを買い込んで移動した。床が汚いという、先乗りした選手団からの情報からだった。

 リオオリンピック大会組織委員会がそろえたボランティアも十分に機能しなかった。当初、8万人のボランティアを用意するはずだったが、資金不足で5万人に減らした。さらに指示体系が十分に機能せず、ボランティアに質問しても適切な答えが戻ってこないことが多かった。しかも、ボランティアに責任感が希薄で数日勤めて辞める人も多く、その補充に四苦八苦したという。何もかもがその場しのぎの付け焼刃だと言われても仕方がないだろう。

遺産はスポーツ振興のための基盤

あいにくの天気の中、街中では閉会式の模様を大型スクリーンで見守る人々の姿もあった 【Getty Images】

 だが、遺産となる芽は一つある。日本ではあまり報道されていないようだが、今回のブラジル人メダリストの中には、「ファベーラ」と呼ばれるスラム街出身の選手が何人もいた。彼らは、五輪開催が決まった直後から軍隊が雇用し、資金的なバックアップをしていたのだ。ブラジルが開催国として一つでも多くのメダル獲得を目指して育てた結果だった。サッカーなどでは、各クラブがファベーラの子どもたちを集めて将来の選手育成を行うシステムを構築しているが、小さな競技団体では選手育成は難しく、政府がバックアップするしか方法がなかった。

 出身地に凱旋(がいせん)したメダリストたちは大きくクローズアップされ、ブラジルのマスコミも英雄としてもてはやした。彼らがこれからの各競技団体の中核として後進を指導する立場になるわけだが、やはり、国や地方、企業などの支援がなければ、後継者育成もできなくなる。こうした将来を見据えて、子どもたちにスポーツをすることの楽しさを教える機会均等のシステムを作ることこそが、ブラジルにとって五輪の遺産だと言えるだろう。

東京の「おもてなし」に期待

 4年後の東京五輪を見据えて、日本政府、東京都は早くからリオ五輪を注視し、下見に力を注いできた。東京の競技施設や交通網などは問題もなく、リオの比ではない。力を注ぐのは「おもてなし」だ。海外からの選手団、観戦者に対して快適な環境を作れるかどうかだ。

 今回、各国の選手団が心を砕いたのは選手の控室だった。どの競技施設も立派だったが、選手の控室が狭く、選手団スタッフは、選手たちがストレスを感じないようにするのが最大の関心事だった。日本のある競技団体のヘッドコーチは数カ月前に会場の控室を見て、「これでは選手がもたない」と考え、その後国内の合宿地で同じような狭いスペースに選手を入れて慣れさせた、という。今回参加した競技団体の関係者から意見を吸い上げ、細かな点もリストアップする必要があると言えるだろう。

 また、観戦者に対しては、分かりやすい交通案内が必要になる。リオの場合、空港の観光案内所に数種類の英語のパンフレットが置かれていたが、地下鉄や専用バスなどの所要時間が明記されておらず、ホテルで聞かなければ分からなかった。リオでは、地下鉄や高速専用バスなど数本しかない場所でも混乱していた。東京のように、地下鉄だけでも10路線以上あるような土地では、分かりやすい案内書を作る必要があるだろう。

2/2ページ

著者プロフィール

1946年に創刊したブラジル・サンパウロの邦字新聞(週5回発行)。日刊の邦字新聞としては海外最大規模を誇る。日系社会の言論界をリードし、さらには文化事業で日本との架け橋を担う。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント