荒井広宙「お騒がせして申し訳ない」 3位→失格→日本競歩初の銅メダル

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日本の上訴が実り、無事に銅メダルが確定して喜ぶ荒井 【写真は共同】

 リオデジャネイロ五輪の男子50キロ競歩が現地時間19日に行われ、荒井広宙(自衛隊)が3時間41分24秒で3位に入り、銅メダルを獲得した。同種目で日本勢がメダルを獲得するのは初めて。

 失格からの“復活”銅メダルだった。3位でゴールした荒井だったが、レース後、4位のエバン・ダンフィー(カナダ)との接触が妨害行為と見なされ、一時は失格となった。しかし、日本チームは失格の裁定に納得せず、再審理を要求する上訴。これが認められ、無事に銅メダルを手にした。

 荒井は「お騒がせしました。申し訳ないです」と話しながら、「純粋にうれしい。もっともっと上を目指してトレーニングをさらにやっていきたい」と、一度は幻に終わるかと思われた日本初の快挙を喜んだ。

 以下は試合直後と、再審理後、メダルが確定した直後の荒井のコメント。

少しは競歩界の役に立てた

 以下はレース直後のコメント。

――最後、よく競り勝ちましたね。

 危なかったです。マジ、ヤバかったです。ありがとうございます。展開は良かったのかなと思うんですけど、最後にカナダの選手が(追い上げて)来て、最後まで油断のできない状況でした。

――ゴールをしたときの心境は?

 本当に3番なのかなって。ちょっと実感が湧かないというか。昨年の(世界選手権と同じように)4番でゴールしたのかなという感じで。

――また4番かもしれないという展開でしたが?

 僕の中でもちょっと思っちゃいましたけど、最後にラストスパートをしたときに体がちょっと動いた感じがあったので、そこで勝てるかなと思いました。でも、最後のゴールラインを越えるまでは本当に怖かったです。

――4位になったカナダの選手が終盤に追いついてきたときは、どう感じましたか?

 ヤバイなと思って、昨年の4番になったことを思い出したんですけど、あのときは3番が谷井(孝行)さんだったので良かったのですが、今回は海外の選手だったので負けられないなと思いましたが、本当に最後まで怖かった。最後は皆さんの応援のおかげで3番になることができました。

――抜き返したときは、どういう気持ちでしたか?

 そうですね。何も仕掛けずに終わるのは、もったいないなと思って。最後は仕掛けてみてダメだったら仕方がないなと思っていました。

――そのときも体に余裕はありましたか?

 比較的、余裕はあったんですけど、ゴールをした後はもう立てなかったので。今の力は出し切ったかなと思います。

――日本競歩界初の五輪メダリストになったことは、どう感じますか?

 五輪で初メダルということで、競歩の先輩である野村(智宏)さんや小坂(忠広)先生たちが築き上げてきてくれたものを、ようやく形にすることができて、少しは競歩界の役に立てたかなと思います。

――陸上日本代表全体の流れは、それほど良くなかったが?

 陸上競技はメダルを取るのが難しい種目だと思うので、そんな中でメダルっていうのは当然、意識はありました。とにかく自分の力を出し切りたいなという思いで50キロを歩き切りました。

――最後、カナダの選手と競り合って抜き返していくときに、肩が当たったと思うが?

 どっちが(先に)というのは、覚えていないですね。ちょうど、距離が近かったので、当たってしまいました。どうしても、競歩は腕振りが大きいので、接触は付き物なので。影響は、全然ないですね。脇腹を打って痛くなってしまったとか、そういうことはなかったので。腕同士がぶつかったような感じで。言うほど「強くぶつかったかな?」という感じです。お互いにフラフラの状態だったので、余裕を持って(対処)みたいなのはなかったですね(苦笑)。

東京五輪では「今回以上の物を目指したい」

――高校で競歩に出会って、ここまでたどり着いたということを振り返って、どう思いますか?

 中学で陸上を始めた頃は、僕自身、何も日本一になってやろうとか、世界に行ってやろうとか思わずに楽しく陸上をやっていたのですが、いろいろな人との出会いがあって、世界選手権に出て、そして今回は五輪に出場させてもらって、そこでメダルを取ることができた。本当に今まで出会った人たちに感謝して、お礼をしたいです。

――今回のことは(亡くなった)お母さんに、何と報告したいですか?

 実家に帰って、仏壇にメダルを供えて、しっかりとメダルを取ったぞと報告したいです。

――4位だった昨年から、ここが一番強くなったぞという部分は?

 練習の距離がすごく増えたとかそういうことではなくて、世界選手権が終わってからの1年間、ケガというものがなくて。順調に質の高い練習をずっとして来られたということが大きいと思います。4月の代表選考会の前に少しインフルエンザになってしまったことはありましたけど、それを抜かせば本当に完ぺきに来たので、本当に継続の力だと思います。

――ゴールの後、涙は?

 ゴールして、ちょっとしてから来ましたね。もう、大丈夫です。「メダル、取れたぞ!」という気持ちで、これまでにやってきた練習であったり、苦しかったこととか楽しかったこととかいろいろと(思い出しました)。

――この1年、気持ちの中で絶対にメダルをと思った瞬間は?

 昨年、世界選手権で4位になったし(仲間の)1人はメダルだったので、もう夢ではないなと思いながら、ずっと練習をしてきた。メダルを目指しながら、練習の質などを上げることができて、それは僕だけでなく谷井さんや森岡(紘一朗)さんと一緒に合宿をすることによってメダルに手が届いたのかなと思います。

――世界記録保持者のヨアン・ディニ選手(フランス)が飛び出したときは、無視しましたね。

 昨年の(マテイ・)トート選手(ロシア)みたいに逃げ切られちゃうかなと思ったんですけど、あのペースに付いて行ったら、確実に自分が潰れてしまうというのは分かっていました。まあ、第2集団でレースを進めて正解だったと思います。向こう(抜け出したディニ選手)が疲れてくれればチャンスだと思ったので。(カナダの選手がディニを追いに行ったのはチャンスだった?)あそこで1回力を使ってくれたので、最後のスパートで勝てたんだと思います。

――最後のスパートは、歩型に気を使うことなく行けた?

 失格は大丈夫と思っていたんですけど、やっぱりちょっと怖かったですね。でも、最後は怖いなりにも力が出せて良かったです。

――最後、2位になったジャレド・タレント選手(オーストラリア)との距離も近付いていたのでは?

 追いついている感じはあったんですけど、前回の金メダリストなので、なかなか簡単には勝たせてもらえないなと思っていました。

――メダルを確信したのは?

 最後の最後。ゴールした後です(笑)。(終盤で)行けるかなとは思っていましたけど、カナダの選手が追いついてきていたので、油断はできないなと思いましたけど、まあ、僕の方が一枚上手だったなと(笑)。

――4年後の東京五輪に向けては、どのような気持ちを持っていますか?

 まだまだ4年間、時間があります。まず出場権を取らないと(東京五輪でレースは)できないのですけど、これからしっかりと練習をやって、一回りも二回りも力を付けて、東京五輪を目指していけたらいいなと思っています。メダルの色? 今回以上の物を目指したいと思います。

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