御厨貴文、Jリーガーからプロ審判への道 「サッカー選手の価値を高めたい」
現役時代に身につけた思考力を武器に
「現役時代に獲得した能力が、社会人として、あるいは審判として生きている」と語る御厨 【J論】
「キャプテンになったことは大きかった。仕事のひとつに、監督を怒らせないようにする、ということがあります。僕が先に怒れば監督は怒らなくていいので、監督がどうしたいかを理解し、僕がピッチのなかで伝える。伝えるためには、まず監督としっかりコミュニケーションをとることが必要ですから、話す、考える能力は自ずと鍛えられたと思います」
1年目の選手と10年目の選手では接し方を変えた。当然ながら年長者には敬う姿勢をとりながらも言うことを聞いてもらわねばならないし、若い選手には緊張をほぐしながらも、戒めることも忘れてはいけない。強圧的に迫ることもあれば、柔らかく提案することもある。大人数の食事会を取り仕切るのも仕事のうちだった。
藤井さんは御厨さんについて、こう話す。
「人前で話す経験を積んできたのだろうな、とは感じます。セミナーや新人研修で、数十人、100人単位の選手の前で話す、これはうまいです。社会人では得られない、選手時代に培った経験が生きていると思います」
思えば、プロ1年目から「伝え方」について考えることはあった。
「自分のポジションがセンターバックだから、前(中盤)にいる藤田健や林健太郎のような(格上の)選手に「右に行け」と指示しなくてはいけない。でも、ただ指示したところで絶対に聞いてくれないですから。『うるせぇ』で終わりです。認められていない。でもそこで右を抜かれたら自分の責任になりますし、仕事も増えるので、絶対に右へ行ってもらいたい。じゃあどうしたら行ってもらえるか、と考えるんです。
たとえば、ボールが欲しいとき。『相手のディフェンダーは足が遅いから、ここに出してくれれば、俺のほうが相手より早く触れる』と言えば『OK』と言って出してくれる。当時は必要なプレーをするためにどう伝えるか、伝えたいと考えていましたけれども、いまになってみると、そうした積み重ねが生きている。声を出さなかったら出さなかったで『出せよ!』と罵られますから(笑)。思考力がある選手が活躍できるのだと思います」
現役引退後をどう生きるか、頭脳をフル回転させた。
「審判になりたいけれども、いきなりそれでメシを食うというのは難しい。ではどうやって審判になるための環境を整えるかと考えて山愛に来ました。平日にトレーニング、週末にレフェリングをしたいので、平日は午前9時から午後5時までが定時で残業がなく、土日は休みということが条件でした。
加えて、向こう5年でプロフェッショナルレフェリーになるという目標があるので、その期間だけ雇っていただきたい、と。普通は5年後に辞めるやつを何で育てなきゃいけないんだ、となりますよね。でも僕はそれがベストだと思ったので、条件に合う就職先を探すうちに、ここ(山愛)を受けてみたらどうですかというお話から、履歴書を送って面接を受けて、入社が決まった、と」
現役を引退するはめに陥った選手たちは戸惑い、場合によっては怒りの感情を持っていることもある。その状態からサッカーを乗り越える「キャリアトランジション」を成し遂げられるかが、うまくレールを乗り換えられるか否かの分かれ目になる。
御厨さんは言う。
「(15年の引退時点で)やりきった感はまったくなかったです。ただ、たまさか退団することになり、いい機会だとリセットしてすべてをフラットに置き、ここ(山愛)に来て、Jクラブからのオファーを断ったところで『トランジション』を乗り越えたんだと思います。僕の目的はサッカーの世界で活躍したいということ。サッカー選手の価値を高めたいという気持ちもあります。選手か審判かで、手段が変わっただけ。そして自分が活躍できる場所に身を置きたい。いまは審判を目指そうとしています」
元Jリーガーだからこその関係の力
「やっぱり誰もいないというところに価値があるなと、魅力を感じました。自分が審判の世界で活躍してJリーガーの価値を高められればいいと思いますし、審判の道もあるんだと分かってもらえたら、こうして歩み出したかいもあります。僕の足跡がひとつの基準になっていくわけですから。そうすることでサッカーに貢献できたらと思っています」
たとえば御厨さんを選手としてよく知るサポーターは、最初は御厨さんの判定に文句を言いにくくなるかもしれない。慣れてくれば、ほかのレフェリーと同様にブーイングをされるのかもしれない。いずれにしろ、“異能”への社会的反応はサッカー界に新風を吹き込みそうに思える。
「選手も同じで、僕がジャッジをしていたら異議を唱えない選手がいるんです(笑)。それは選手との間で関係を構築できているから。そこは強みなんです。ですけれども、型を身に付けていないので、それが生きてくるのは、審判としての技術を身に付けたあとの、先の話ですね。FC東京の練習試合で笛を吹いていたときも、おちょくってくる選手はいましたよ。『いまの、よく見えてたね』と言って(笑)。そのようなコミュニケーションはプロサッカー選手をやってきたからですね。
でも本当はその関係を抜きにしても、審判として『よく見えていたね』と言われるようにならないといけない。いまはただ“関係の力”でしかないから、こっち側(レフェリーに必要なもの)を徹底的に身につける必要がある。中学生の試合でもJリーグでやるような気持ちで笛を吹かないといけない。そういう気持ちです」
15年末にサッカー3級審判員の資格を取得。今年中に2級審判員になることが目標だ。3級の現在は活動範囲が東京都に限られているが、2級になれば関東地域で難しい試合、よりレベルの高い試合を経験できる。大会も大きくなり、試合のマネジメント、運営に責任が生じる。4審がつくような試合をやっていくと、その4人のチームで1試合を全うすることを考える必要もある。遠征をどうするかということも含め、審判として成長するために欠かせない経験ができるようになる。
審判は選手とは違う生き物だ。選手はボールを見るが、審判は次に両チームの選手が相まみえそうな「争点」を予期して、その近くにポジションをとる。審判としての新たな人生が、御厨さんの眼の前に広がっている。
山愛からは「5年後にこちらの仕事を選ぶこともできるくらいに成果を挙げていきなさい」と言われているという。社会人として、あるはレフェリーとして、自信をつけた5年後の御厨さんはどちらの道を選ぶのだろうか。
「15年の7月から審判を始めて20年の夏がめど。そこまでにプロフェッショナルレフェリーになっていたい。審判をやっている方には『何言ってんだ(笑)』って言われちゃいますけれど、僕は本気です。5年後よりも先ですか? うーん……そうですね……『御厨貴文とはこういうものだ』という生き様を見せたい。だからサッカー選手にもなった。
サッカー選手の価値を高めることが大きな軸で、そのひとつに自分の存在を示したいということがある。プロフェッショナルレフェリーになって活躍する、そこにたどり着くまでに身に付けなければいけない能力は何にでも転用できると思っているので、まずはいま置かれた環境のなかで身に付けるものをしっかり身に付けたい。そして軸をブレさせずに進んでいけば、自ずとやるべきことが見えてくると思っています。だから全然不安はありません」
サッカーの経験が社会で役立つということを示せば、世間がサッカー界に向ける視線が変わり、サッカー選手をビジネスの戦力として考える企業も増える。Jリーガーからプロフェッショナルレフェリーへ、現役を引退した元プロサッカー選手が働きながら審判をめざすその道程の果てに、ポジティフな未来が訪れるかもしれない。サッカーの価値を高めたいという御厨さんの願いがかなうまで、彼の戦いは続く。