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具志堅用高がほれたホープ・比嘉大吾
急成長の上昇曲線で世界挑戦も視野に

パーフェクトレコードでOPBF王者に

ここまで10戦10勝10KOのパーフェクトレコードで東洋太平洋フライ級王者になった比嘉大吾
ここまで10戦10勝10KOのパーフェクトレコードで東洋太平洋フライ級王者になった比嘉大吾【写真は共同】

 ここまで10戦10勝10KOのパーフェクトレコード。去る7月2日には東京・後楽園ホールで東洋太平洋フライ級王者のアーデン・ディアレ(フィリピン)に挑戦し、世界挑戦を含め、5倍近い戦歴を重ねてきた27歳の猛者に4ラウンドKOで圧勝して、新王者になった。リングの上ではどこまでも強気でアグレッシブ。現在の日本ボクシング界で最も勢いがあって、活きがいい、急上昇中の20歳のホープ。それが比嘉大吾(白井・具志堅スポーツ)だ。


 そのディアレ戦。比嘉は2度喜び、そのたび泣いた。まず2ラウンド、比嘉のボディに顔をしかめて、ディアレがうずくまる。立ち上がる気配はまったく見られず、コーナーポストに駆け上がり、絶叫。涙があふれた。が、カウントアウト寸前、比嘉の背後でディアレは立ち上がる。同時にゴング。それでも次の3ラウンド、4ラウンドと猛然と攻め、それぞれダウンを奪った。


 今度はレフェリーがテンカウントを数えるのを確実に見届けたところで喜びを爆発。野木丈司トレーナーをはじめ、セコンドの一人ひとりと勝利を分かち合い、最後は具志堅用高会長としっかり抱き合った。“2度目のKO勝ち”にも自然と涙がこみ上げてきた。


「オレ、沖縄の友だちの間で勘違い男になってますもん。試合が終わったあとにLINEがあって、ついたあだ名が“フライング”ですよ!」と比嘉が愛嬌たっぷりに教えてくれた。リングを降りた比嘉はとにかく人懐っこくて、よく笑う。そのギャップもまた魅力である。

同学年に井上拓真と田中恒成 高校では目立たなかった

 2014年6月のデビューから2年。正直、これほど早くトップ戦線に台頭してくるとは思わなかった。まして、その日のメインでジムの先輩の江藤光喜と空位の東洋太平洋フライ級王座を争ったのがディアレだ。その試合はダウンの応酬となり、大激闘の末、江藤が8ラウンド逆転KO勝利。敗れたものの強烈なインパクトを残した実力者を、それから2年後、比嘉が圧倒するとは誰も想像しなかったに違いない。


「デビューして2年。高校でボクシングを始めて5年。ちょっと異質なレベルだと思いますね。井上兄弟(尚弥、拓真)だって、キャリアとしては(小学生の頃から)10年以上ですから」

 比嘉の成長の速さを野木トレーナーはそう表現する。沖縄県立宮古工業高校時代は高校3年時にインターハイ、国体と全国大会に出場したが、目立つ存在ではなかった。なにしろ、同学年には国内最速5戦目でWBO世界ミニマム級王者となり、2階級制覇の機会を虎視眈々(こしたんたん)とうかがっている田中恒成(畑中)、前東洋太平洋スーパーフライ級王者で世界初挑戦を視界に捉えている井上拓真(大橋)という2人のスーパー高校生がいて、1年生のときから激しく優勝を争っていたのだ。


 だが、当時は「同じ階級じゃなくて、良かった」というほど遠い存在だった田中、井上に対し「今のところは先を行かれてるけど、追いつき、追い越せと思ってるんで」とライバル心を隠さず、きっぱり言うのである。

「2人ともきれいなボクシングをして、うまくて、なおかつ強い。自分の場合はどんどん攻めるスタイル。うまいとか、どうこうよりも、3人のなかで試合がいちばん面白いのは比嘉大吾と言われるようになりたい」

具志堅会長の映像を見て「ピーンときた」

具志堅会長(右)が「プロ向き」と惚れ込んだスタイルが開花し始めている
具志堅会長(右)が「プロ向き」と惚れ込んだスタイルが開花し始めている【写真は共同】

 原点はテレビで見た具志堅会長の現役時代のKOダイジェストだった。井岡一翔(井岡)が5ラウンドTKOでWBC世界ミニマム級タイトルを奪取した2011年2月。試合が早く終わったため、たまたま流された古い映像のなかで対戦相手をバッタバッタと倒しまくる地元沖縄の英雄に心奪われた。


 高校受験を目前に控えていた比嘉は進路を急激に方向転換。小学校、中学校と野球に熱中し、部活引退後も高校野球に備え、硬式野球のチームに在籍したほどだったが「会長の映像を見て、ピーンときた」というのだから、人の運命は分からない。いてもたってもいられず、比嘉が幼い頃に離婚後、離れて暮らしていた父親に電話で相談し、勧められたのが元プロの日本ランカーでもある知念健次監督が指導する宮古工業高校のボクシング部だった。


 最初の頃はスパーリングのたびにボコボコにされ、打ちのめされた。何度も何度も流したという悔し涙は「水をかぶるふりをして、ばれないようにした」。ボクシングをやりたい一心で沖縄本島の浦添市から遠く離れた宮古島に渡り、父親と2人暮らし。比嘉がプレーした少年野球チームの厳しい監督だった父親の手前もあり、歯を食いしばった。もちろん、意地もあった。「朝は走って、昼は学校、夜はジムワークの毎日がずーっと続いた感じ」という3年間で知念監督に「攻める闘志を教え込まれた」。


 全国優勝などの実績こそなかったが、ボクシング部の顧問で恩師の下地恵茂(けいも)先生を介し、具志堅会長に存在が伝わる。国体終了後、父親のもとに具志堅会長から電話が入り、直々にプロ転向の誘いを受けた。ほどなく憧れの人は東京から宮古島に比嘉を訪ねてきた。高校時代は「ケンカみたいなボクシング」と本人が笑うようにまだ荒削りだったが、具志堅会長が「プロ向き」と惚れ込んだのが、培ってきた攻める闘志だった。


 比嘉も知らないところでセッティングされた高校でのプロ転向会見。具志堅会長が「5年以内に世界を獲らせたい」と地元メディアに宣言するのを「早い早い」と内心焦って聞いていたという。それがディアレを粉砕し、「この勢いのまま年内にも世界挑戦を実現させたい」と具志堅会長が世界に向けて、本腰を入れようか、という段階までのし上がってきた。

船橋真二郎

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社)、『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)に執筆。『ゴング格闘技』(イースト・プレス)でコラム連載。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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