育成のキーマンが語るそれぞれのスタイル J2・J3漫遊記 G大阪&C大阪U-23 後編

宇都宮徹壱

ライバルとは異なる方向性を模索したC大阪の育成

C大阪の取締役チーム統括部長、宮本功。04年から育成とスクールに関わってきた 【宇都宮徹壱】

 柿谷曜一朗、山口蛍、そして南野拓実。ここ数年、日本代表にタレントを輩出し続けているC大阪の育成のキーパーソンにも登場してもらおう。「上野山さんはヤンマーの大先輩です(笑)」と語る取締役チーム統括部長の宮本功は、92年にヤンマーの選手としてデビューし、94年にC大阪の選手として現役引退している。企業チームからJクラブとなる過渡期をピッチ上で過ごしながら、Jリーガーにはなれなかった宮本は、その後10年にわたり社業に専念。クラブに戻ってきたのは04年のことであった。

「04年の10月にセレッソに出戻りしてきたんです。それからはスクールと育成をずっと私がやっていました。正確に言うと、08年と09年は育成部というのを作って、僕は事業部にいたので他の者に任せていました。あまり職歴として表には出していないんですが、その2年間を除けば一貫してスクールと育成を見てきました。チーム統括部長となったのは今年の2月からです」

 クラブと宮本にとって転機となったのは、トップチームがJ2に降格した07年であった。予算規模が縮小する中、活路を求めたのが「育成型クラブへの転身」。ファンから一口3000円の協賛金を集めて、全額を育成年代の選手の栄養費や遠征費(海外含む)に投資する『ハナサカクラブ』がスタートしたのもこの年だ。同年5月、10年ぶりにC大阪監督に復帰したレヴィー・クルピが、若手選手を積極的にトップチームに引き上げたことも幸いした。結果として「育成型クラブへの転身」は、クラブが生き残る上で唯一無二の道となったわけだが、大阪でその地位を確立するのは容易ではなかった。

「当時はガンバユースが絶対的な存在でしたからね。何とかキャッチアップするために、どんな手を打てばいいのかいろいろ考えたんですけれど、やるべきことが多すぎて(苦笑)。ただ、ウチの育成システムを作るにあたって、ガンバさんの仕組みは参考にしていません。というのも、彼らは北摂で僕らは大阪の南のほう。地域性も違えば、向き合う相手も違う。経済的な話にしても、ウチとガンバさんとでは育成にかけられる額が違うし、親御さんの平均収入にも差がある。だからこそ、ハナサカクラブは非常に有効でした」

 最後に、U−23の位置づけについて聞いてみた。監督の大熊裕司は、C大阪における「アカデミーの最上位機関」と語っていたが、その認識で間違いないのだろうか? 宮本は「ご指摘のとおりです」と認めた上で、U−23を持つアドバンテージについてこう語った。

「U−18チームの3年間に、さらに(U−23の)5年間が加わることで、われわれの強みとすることが目的です。3年間だけでは伸び悩む選手もいるし、J3で経験を積むことでより速い成長が望めるかもしれない。今回のダービーだって、トップに上がった時のことを考えたら、絶対に意味があると思いますよ。いずれにしても、選手の成長を促すための確率を上げていくことを、われわれは追求しています」

「ナンバーワン」ではなく「オンリーワン」の育成

高知ユナイテッドSCの西村昭宏監督(中央)。大阪の両クラブの育成現場を知る人物だ 【宇都宮徹壱】

 育成のフィールドでも、追いつ追われつの関係で競い合ってきたG大阪とC大阪。本稿を締めくくるにあたり、両クラブの育成の現場を知る人物に登場してもらおう。現在、四国リーグの高知ユナイテッドSCで監督を務める西村昭宏。91年にヤンマーで現役を終えた西村は、G大阪の初代監督に就任した大先輩の釜本から「ウチで指導者にならんか」とオファーを受ける。駆け出しコーチとなった彼は、G大阪ユースの黎明(れいめい)期に立ち会うこととなった。

「ガンバの育成に関しては、やっぱり初代監督のヤマさん(上野山)の考え方が大きかったと思いますよ。ボールを自分たちで保持するために、何が必要なのかを突き詰めていく。その哲学は、二代目のユース監督だった僕がそのまま引き継いで、さらに受け継がれていきました」

 G大阪ユースでの実績が認められた西村は、01年にはU−20日本代表監督としてワールドユース(現U−20ワールドカップ)に出場。さらに、C大阪、京都パープルサンガ(現京都サンガFC)の監督を経て、04年から07年までC大阪のチーム統括部ゼネラルマネージャー(GM)に就任している。一度はトップチームの監督を解任されたにもかかわらず、GMとして招へいされたのには、前出の宮本の強い意向があったという。

「宮本さんからは『強化の全権を任せる』と言われましたし、自分でも以前から『セレッソの育成を何とかせなあかん』という思いがありました。何しろスタッフがミーティングをする場所もなくて、喫茶店で打ち合わせをしていましたから(苦笑)。それではあかんと(クラブハウスの)筋トレルームを潰して、育成スタッフ専用の拠点を作りましたよ」

 G大阪については「トップチームの経営が厳しくなったときにも、育成への投資を続けてきたこと」を評価し、C大阪については「宮本・大熊体制が確立して以降は、育成でも目立った成果が見られるようになった」と分析する西村。「両クラブの育成を比較してほしい」という私のリクエストに対しては、明言を避けながらこのように結論づけている。

「結局のところ、ガンバにしてもセレッソにしても『ナンバーワン』ではなく『オンリーワン』なんだと思います。何だかSMAPの歌みたいですが(笑)。どちらがいい、悪いという話ではなく、それぞれの育成システムと指導者養成が競い合うことで、日本のサッカーのレベルがさらに高まってほしい。それが、JFA(日本サッカー協会)でも仕事をしていた僕の願いですね」

 J3の大阪ダービーをきっかけに、両クラブの育成におけるライバル史をひも解いていくと、キーパーソンとなった人々は必ずどこかでつながっていることに気付かされる。もともと狭い業界であることに加え、ヤンマークラブの消滅、松下のJリーグ参入といった外的要因が重なり、関西サッカー界の人材は「青黒」と「ピンク」の間を行ったり来たりしている(最近では、元G大阪監督の松波正信がC大阪U−18コーチに就任して話題になった)。互いに激しく競い合いながらも、それぞれの持ち味を出しながら高め合っている。育成という視点から見れば、大阪ダービーは極めて理想的な補完関係にあるのかもしれない。

<この稿、了。文中敬称略>

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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