和田毅、前半戦の好投導いた日本流 鷹詞2016〜たかことば〜

田尻耕太郎

被本塁打対策で変えた立ち位置

プレートの立つ位置をアメリカの三塁側から日本時代の一塁側に戻し、下半身がうまく使えるようになったという 【写真は共同】

 さらにもう一つ、6月に大きなターニングポイントがあった。

 前半戦のピッチングは決して順風満帆ではなかった。4月は完封を含む3勝を挙げるも、5月4日の北海道日本ハム戦では今季ワーストの4被弾と打ち込まれた(勝敗はつかず)。続く11日の千葉ロッテ戦は7回まで1失点の快投も、7点リードの8回に突如3本塁打を浴びた。復帰後初の本拠地白星だったが、ヒーローインタビューはなし。まるで敗戦投手のように、口を真一文字にして何度も首を傾げていた。

 6月1日まで10試合に登板して11被本塁打。「なぜ、こんなにも簡単にスタンドに運ばれるのか」と悩んだという。対策を練る中で1つの答えを出したのが6月8日の横浜DeNA戦だった。変えたのはマウンドでの立ち位置だった。シーズン序盤はプレートの三塁側寄りに立っていたが、この日を境に一塁側に立つようにした。

「もともと一塁側だったんです。アメリカに行ってから三塁側にしていました。向こうでカットボールやツーシームなどボールを動かす投球術を覚えたことが理由の一つです。三塁側に立つと、左腕はちょうどプレートの真ん中付近になります。そのまま真ん中から左右にボールを動かす方が効果的。また、一塁側に立つとクロス気味に投げるので体に負担がかかる。ひじを手術したこと、マウンドの硬さ、ボールの違いもあって三塁側に立っていました」

下半身がうまく使え悩みが解決

 日本復帰後もそのまま臨み、初めのころはうまくいっていた。しかし、体に無理なく投げるのはいいが、疲労がたまってくると力感のないフォームからそれなりのボールしか投げられなくなっていた。先の千葉ロッテ戦以外にも試合終盤につかまる傾向は何度もあった。

「投げる際にひじが下がっていた。一塁側に立ってクロス気味に投げることで下半身がうまく使えるようになり右腰が開かず、上体の開きも抑えられ、ひじが上がるようになった」

 以降の5試合では被本塁打2と大きく改善された。今年2月で35歳になり円熟期を迎えたサウスポーだが、「まだまだ年寄り扱いされたくないですから」と笑う。

 また、「昔みたいにバンバン三振を奪いにいくのではなく、少ない球数で抑えていくのが理想」と話す一方で、「相手打者に『和田もまだまだ勢いが衰えていないな』と思わせるのも大事なんです」とにやり。前半戦は97回3分の2を投げて、99奪三振をマーク。パ・リーグ4位にランクインする成績だ。

健在ぶりを証明したいオールスター

 7月15日からは自身5年ぶり5度目となるオールスターに監督推薦で出場する。それも地元・ヤフオクドームでの第1戦の先発が発表された。

「光栄です。第1戦が福岡のヤフオクドームで行われるのでそれも楽しみですね」

 パ・リーグの最年長選手である。「あんまり調子に乗らず、ベンチの隅っこに座っていようかな(笑)。若い選手たちのプレーや雰囲気を見て、若さをたくさん吸収したいですね」とおどけてみせた。

 オールスターでは全国の野球ファンへ、「和田毅は健在なり」を改めて示す力強い快投に期待したい。

地元・ヤフオクドームでのオールスターで先発が発表。全国のファンに健在ぶりをアピールしたい 【写真は共同】

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著者プロフィール

 1978年8月18日生まれ。熊本県出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。2002年卒業と同時に、オフィシャル球団誌『月刊ホークス』の編集記者に。2004年8月独立。その後もホークスを中心に九州・福岡を拠点に活動し、『週刊ベースボール』(ベースボールマガジン社)『週刊現代』(講談社)『スポルティーバ』(集英社)などのメディア媒体に寄稿するほか、福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルメディアともライター契約している。2011年に川崎宗則選手のホークス時代の軌跡をつづった『チェ スト〜Kawasaki Style Best』を出版。また、毎年1月には多くのプロ野球選手、ソフトボールの上野由岐子投手、格闘家、ゴルファーらが参加する自主トレのサポートをライフワークで行っている。

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