歓喜の優勝から半年、琴奨菊の心境 自らの相撲道を貫き32歳の綱取りへ
練習と稽古の違い
1月場所では日本出身力士として10年ぶりとなる賜杯を抱いた 【写真は共同】
「横綱・白鵬関が良く言うのですが、『夢を叶える』の『叶』えるは、『口』という字にプラスと書きますよね。愚痴を吐くの『吐』くは、プラスとマイナスと書く、だから夢が遠のいていく、と。常に前向きに、夢を叶えられる状況になるようにアンテナを張って、視野を広げて。いざチャンスが来たらそれをつかめるように、気持ちを穏やかにということを心がけています」
穏やかな気持ちは、厳しい稽古によって磨かれたものである。
「心技体という順番には、すごく意味があると思います。身体が大きくても、心がなかったら、技がなかったら、自信を持って土俵へ上がることはできません。だから私は、稽古で自分を追い込みます。追い込んで、追い込んで、もう本当にヘトヘトになって、そこから出てくるものが強さだと思うのです。多くのスポーツで言う練習は、相撲では稽古と言います。なぜか? 練習は技を磨くけれど、稽古は心を磨くからだと、私は理解しています」
自らの「相撲道」を貫く
「私のルーティンと言えば、胸を反るものだけがとらえられがちですが、朝起きてからすべてルーティンで生活をしています。たとえば、準備運動は股割りから始めますが、同じことの繰り返しによって『今日はちょっと膝が痛いな』とか、『少し筋肉が張っているな』とか、そういった変化に気づくことができるのです。
それに、勝負事の前にひとつだけルーティンを用意していて、左足からいくべきところを右足でいっちゃったら、困ってしまうじゃないですか。ルーティンがいくつもあれば、ふとしたときに対応できる。より良い状態へ持っていけるのではないか、というのが私の考えです」
ルーティンを裏付けとする心の柔軟性は、琴奨菊の強みとなっている。だからといって、心の芯がグラつくことはないのだ。太くて、固い。自らが探究する相撲道は、決してゆるがない。
「私は器用ではないので、しっかり当たって相手に圧力をかけて、という相撲なのです。立ち合いには変化も含めていろいろな駆け引きがあるけれど、相撲道ということについて言えば、力と力の勝負を皆さんは期待しているでしょう。そういうところの持っていき方というか、考え方というかね」
そう言って琴奨菊は、大好きなプロ野球の話題を持ち出した。話をそらしているわけではない。違う角度から相撲道に光を当てつつ、自分なりの論理を整理している。
「160キロ以上のストレートを投げることのできる大谷翔平投手だって、毎回160キロのボールを投げたら打たれてしまうでしょう。それは分かっているけれど、勝負師として貫くべき場面ではストレートを投げる、ということがあると思うのですね。私自身も、相撲道の『道』の部分は、自分の考えを貫かないといけないところなのです」