手倉森ジャパンは五輪をどう戦うのか? 選手選考から読む戦略のポイント

川端暁彦

会見で見せた変わらぬ「手倉森監督」

リオ五輪本大会に臨むU−23日本代表18名が発表された。手倉森ジャパンは五輪をどう戦うのだろうか? 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 7月1日、リオデジャネイロ五輪男子サッカー競技に臨むU−23日本代表18名が発表となった。「U−23日本代表は今日から五輪チームに変わります」と語り始めた手倉森誠監督は、こうした会見にありがちなこわばった雰囲気など少しも見せず、得意のダジャレも二発ほど繰り出して、終始にこやかに質問への対応を続けてみせた。

 メンバー発表記者会見がこわばった雰囲気になるのは、「なぜ○○を選ばないのか」という糾弾が生まれやすいことに加えて、監督側の心理状態も追い詰められたものになりがちだからだろう。「本当にこの18人でよかったのか?」というのはどんな練達の指揮官でも思わずにはいられないもので、そうした質問する側とされる側の関係性の中で、ギスギスした雰囲気が生まれてしまうのもめずらしくないし、ある意味で仕方のない部分でもある。しかし手倉森監督は、変わらぬ「手倉森監督」だった。

「あと6個(勝利を)積み重ねれば、(五輪アジア1次予選からの公式戦通算)15連勝で金メダルです。最低でもメダルを取りたいと考えたときに、金を目指さないと銅にも引っかからない。どう(銅)にもこうにもなくなる」

 そう言って笑ってしまう胆力は、やはりさすがというほかない。目標を問われれば煙に巻きたくなるのが責任を問われる監督というポジションの常で、そうした質問に対して「プレッシャーをかけないでくれ」という返答をしてしまう指揮官も少なくない。しかし手倉森監督は、就任当初から一貫して「メダル」という目標を選手たちにも報道陣にも明示してきた。「十分に狙えるんだ」とも。

経験を買う形となった岩波の選考

負傷からの復帰途上の中、メンバーに選ばれた岩波。経験を買う形での選考となった 【写真:FAR EAST PRESS/アフロ】

 メダルを狙うためのメンバー18人自体に大きなサプライズはなかった。個人的に予想していた18人から外れていたのは1人だけだが、他の記者も似たり寄ったりではないだろうか。選考の争点は大きく分けると2つあって、ここで記者の意見も事前に割れていた。つまり「負傷者を選ぶか」という問題と、「18番目の男は誰か?」という問題である。

 アジア最終予選終了後、手倉森ジャパンは緊急事態に陥っていた。何せ、出場していた選手たちの過半数が負傷で戦列を離れたのだ。中でも重傷だったのはDF室屋成(FC東京)、松原健(アルビレックス新潟)、岩波拓也(ヴィッセル神戸)、奈良竜樹(川崎フロンターレ)、山中亮輔(柏レイソル)、MF中島翔哉(FC東京)、FW鈴木武蔵(新潟)の7名である。このうち、室屋、松原、中島、鈴木の4人はメンバー発表2日前の南アフリカとの強化試合で復帰を果たした。そして、この試合で90分のパフォーマンスを示した室屋と中島が合格ラインに残った。「ギリギリで間に合わせました」と室屋は笑っていたが、まさに瀬戸際のタイミングだった。

 残るメンバーのうち、難しい判断だったのが岩波だ。チーム結成以来の主力選手であり、チームの和という意味でも軸になってきた男である。しかし、負傷からの復帰途上にある選手を選ぶことにはリスクがつきまとう。「(南アフリカ戦で)高いパフォーマンスを見せてくれた中谷(進之介/柏)」の存在もあって、この選考で手倉森監督が一番に悩んだポイントだったことは想像に難くない。「こればかりは予測での計算でしかない。そこの決断については慎重だったし、大きな決断だった」と言いつつ、最終的には岩波の経験を買う形での選考となった。

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著者プロフィール

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』をはじめ、『スポーツナビ』『サッカーキング』『フットボリスタ』『サッカークリニック』『GOAL』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。近著に『2050年W杯 日本代表優勝プラン』(ソル・メディア)がある

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