“惨めな敗退”で非難を浴びるブラジル 機能不全の協会、選手を萎縮させる指揮官

沢田啓明

試合後、目が血走っていた“闘将”

ブラジル代表を率いてコパ・アメリカ100周年記念大会を戦っていた“闘将”ドゥンガ。ペルー戦後の指揮官の目は血走っていた 【写真:USA TODAY Sports/アフロ】

 試合後、記者会見に臨んだ“闘将”ドゥンガは、これまで見せたことがない顔をしていた。ことサッカーに関しては徹底して負けを嫌うブラジル人の中でも、とりわけ負けん気の強い男の頬が赤黒く染まり、目が血走っていた。

 政治家の不正や失政に関しては追及が甘い(と思える)ブラジルメディアだが、サッカーの場合は全く容赦がない。「解任を怖れているか」とストレートな質問が飛ぶ。指揮官は記者をにらみつけると、「俺は死ぬこと以外は何も怖くない」と返した。まるで更迭を覚悟しているようにも聞こえた。

 惨めな敗退、と言うほかない。

 6月3日(現地時間)から米国各地で行われているコパ・アメリカ100周年記念大会のグループステージ(GS)最終戦で12日、ブラジルはペルーと対戦した。今大会のそれまでの戦績は、エクアドルと0−0で引き分け、ハイチに7−1と大勝して1勝1分け。この試合の前にエクアドルが4−0でハイチを下していたことから、ブラジルは引き分け以上ならGSを首位で突破するが、もし負けたら3位に転落して敗退する状況にあった。

 エースであるネイマールはバルセロナとの話し合いで、リオデジャネイロ五輪にオーバーエージ枠で出場するのと引き換えに、この大会を欠場。MFフィリペ・コウチーニョが代役を務めた。

疑惑のゴールで敗れ、29年ぶりのGS敗退

ブラジルは疑惑のゴールでペルーに敗れ、29年ぶりにGS敗退となった 【写真:USA TODAY Sports/アフロ】

 実は、ペルー戦前半のブラジル代表の内容は非常に良かった。小柄だがスピードとテクニックを備えた選手たちが少ないタッチでパスを交換し、適宜、縦方向への鋭いパスを通し、ボールを失っても高い位置で奪い返して攻め直す。左サイドバックのフィリペ・ルイス、19歳のセンターFWガブリエウらが際どいシュートを放ったが、ペルーのGKペドロ・ガレーセの好守に阻まれた。

 ところが、後半に入ると展開が一変する。勝利が必要なペルーがブラジル選手に襲い掛かり、貪欲にゴールを狙い続ける。ブラジルは受身になり、パスミスが続出。攻撃を組み立てることができず、守勢一方になった。

 75分、ペルーがカウンターから右サイドを突破し、MFアンディ・ポロがブラジルのGKと最終ラインの間に速いクロスを入れる。これをFWラウル・ルイディアスが右太ももで押し込もうとしたのだが、明らかに右手の助けを借りていた。ブラジル選手はすぐにハンドをアピールしたが、審判団が4分あまり協議した末、ゴールを認めた。

 その後、ブラジルは必死に攻め、アディショナル・タイムに後半唯一の決定機を作ったが、これもGKに阻まれる。0−1で敗れ、まさかのGS敗退が決まった。ブラジルがペルーに敗れたのは1985年以来31年ぶりで、コパ・アメリカのGSで敗退したのも1987年大会以来、29年ぶり2度目のことだった。

 翌日のブラジル各紙は、「セレソンが屈辱的な敗戦」「谷底へ落下」「ナ・サ・ケ・ナ・イ」などの見出しで、チームと監督を痛烈に批判した。ペルーの決勝点を挙げたルイディアスは「太ももで押し込んだ」と主張する。しかし、ハンドだったのは疑いがない(ブラジルメディアの見解は、この点では一致していた)。

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著者プロフィール

1955年山口県生まれ。上智大学外国語学部仏語学科卒。3年間の会社勤めの後、サハラ砂漠の天然ガス・パイプライン敷設現場で仏語通訳に従事。その資金で1986年W杯メキシコ大会を現地観戦し、人生観が変わる。「日々、フットボールを呼吸し、咀嚼したい」と考え、同年末、ブラジル・サンパウロへ。フットボール・ジャーナリストとして日本の専門誌、新聞などへ寄稿。著書に「マラカナンの悲劇」(新潮社)、「情熱のブラジルサッカー」(平凡社新書)などがある。

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