知念雄、ラグビー歴2年で日本代表に 原石を輝かせた「幸せな関係」
大学王者に輝いたハンマー投げからラグビーに転向
ラグビー歴2年で日本代表に選ばれた知念雄(東芝) 【赤坂直人】
その中に、知念雄(東芝/25歳)の名前があった。ラグビー歴は2年。大学院在籍時にラグビーを本格的に始めた男が、若手主体とは言え、正式な国際大会を戦う日本代表に選ばれたのだ。「自分が一番びっくりしています」と朗らかに笑う知念は、わずか2年の間に、日本ラグビーの未来を担う存在となった。
沖縄県出身、184センチ、125キロの体格を誇る知念は、ハンマー投げで高校、大学と日本一に輝く。順天堂大学院時代に、陸上部がオフの期間のトレーニングとして関東リーグ戦4部だったラグビー部の試合に出ると、対戦相手の駿河台大・松尾勝博監督(元日本代表)から、ラグビーへの本格的な転向を提案される。そこでつい前向きな言葉を残すと、年明けには東芝の薫田真広元監督と元日本代表で採用担当の猪口拓氏が会いに来た。
知念は急な展開に戸惑いながらも、薫田氏の言葉に心を奪われた。
「ラグビーでW杯を目指してみませんか?」
それまで、個人競技で五輪を目指していたが、新たなスポーツで、仲間とともに世界に挑むことを「夢がある」と感じた。そして、誘われるがままに東芝の練習への参加を承諾する。
東芝の選手に衝撃を与えた初練習
元U20日本代表で190センチ、110キロのLO松田圭祐が、知念と激しくぶつかり合う。当たり勝ったのは、ラグビー経験がほとんどない知念の方だった。
「ものすごく強くてびっくりしました(笑)。体は大きかったですけど、違う競技から来て通用するなんて、全く思っていませんでしたから」(松田)
タフな男が愛されるのが東芝の伝統。知念の強さは、選手たちの警戒心を解くのに十分で、あっという間にチームに溶け込んだ。「何よりも東芝の『人』が良かったので、ここでやっていこうと思えました。すごく雰囲気が良くて、この輪の中に入りたいな、と」(知念)
悔しさで涙を流した網走合宿
最初は動き方さえわからなかったが、周囲の人々に支えられて成長した 【赤坂直人】
「一番、辛かったのは7月の網走合宿です。初めて8人同士のスクラムに入ったんですが、僕のところだけ何度もつぶれてしまうんです。ジョセフ・バラカットFWコーチ(当時)に『すごく良い練習だったが、1人が台無しにした』と言われて、情けなさと悔しさと、僕のせいでみなさんが練習にならない申し訳なさで……、本当に辛かったです」
知念のポジションはスクラムを最前線で組むPR(プロップ)。「PRは30歳から」という言葉があるほど、経験が重要なポジションとされている。初心者の知念には大きなストレスがかかっていた。
ここで、知念を救ったのは東芝の仲間だった。「本当に辛くて、もう涙が出た時に(藤井)淳さんが声をかけてくれて……。ルールでわからないことがあると、食事の時に森田(佳寿)さんが皿の上のおかずを動かして教えてくれて。みなさんの優しさが本当にありがたかったです」
スタッフの猪口氏と2人だけの朝練
「猪口さんは普段の仕事もあるのに、毎朝6時半からの練習に付き合ってくれたんです。現役時代に日本代表でも活躍された方で、PRもHO(フッカー)もされていたので、『なんでこうするのか』や『こうすると味方が組みやすい』などわかりやすく教えてくれました。毎朝、高校1年生のような地道な練習を続けました」
そのうちにほかの若手選手も朝練に加わるようになり、知念は東芝の練習についていけるようになった。
「みんな質問すれば、120%で答えてくれます。バラカットFWコーチも厳しかったですが、力を入れて教えてくれました。僕はこのチームに入れて本当にラッキーです。ラグビー選手として、ゼロから東芝につくってもらいました」
SHの藤井淳は知念の素直さが成長につながったと話す。
「自分に足りないところや、わからないところがあると、当たり前のように自主練をやるんですよ。年下の選手に素直に聞くこともできるし、それを受けて自分で考えられる。知念を見ていて、僕らが勉強になることもあります」