リオ五輪に向け苦戦続く日本ボクシング 再生のカギは実戦研修と外向性

善理俊哉

五輪出場決定は成松の1名のみ

リオ五輪の大陸予選で成松が出場権を確保。出場者ゼロの窮地は免れた 【善理俊哉】

 今夏に開催されるリオデジャネイロ五輪。ボクシング競技において、前回のロンドン五輪では男子4人が日本から出場し、そのうち村田諒太(当時・東洋大職員)がミドル級・金メダル、清水聡(当時・自衛隊体育学校)がバンタム級・銅メダルを獲得。かつてない好成績に「最もブレイクした競技」とも言われた。しかし、リオに向けて男女ともにあと1回ずつ予選が残されているが、現時点で出場を決めているのは男子ライト級の成松大介(自衛隊体育学校)のみと、苦戦が続いている。

 今回の代表候補の中で、最も注目度が高いのは中京高校の新任教師・男子フライ級の田中亮明だろう。
 足のつま先から拳まで連動して放つような渾身の左ストレートを武器に、昨年は同五輪のテストイベントでも優勝。プロボクシングでWBO世界ミニマム級王者に就いた田中恒成を実弟に持つこともあって、人間ドラマとしても興味深い選手だ。

中国で大陸予選参加時の田中亮明。席を置いた大学と高校の顧問二人で指導体制を築く 【善理俊哉】

 しかし、3月23日〜4月3日まで中国・遷安で行われた同五輪アジア・オセアニア予選では、昨年のアジア選手権と同様にシャホビディン・ゾイロフ(ウズベキスタン)にポイント負け(0−3)。「短期間でずいぶん成長した」と相手陣営のコーチからねぎらいの言葉をかけられたものの、田中陣営にとっては、経験不足を再確認したに過ぎなかった。

 田中の弱点は足。というより、この競技における日本人の弱点が足運びだといっていい。3分3ラウンドの短期決戦で、日本の選手は懐の深い選手をつかまえきれず、田中も最近にようやく、こうした足運びにメスを入れ始めた段階だ。3月まで籍を置いていた駒澤大学ボクシング部の小山田裕二監督は、足の向きなどから改善を試みたが、「国際舞台で戦うには、結局、試合経験を埋められない」と吐露した。

ロンドン時は川内の影響で社会人選手に刺激

ロンドン五輪でメダルを獲得した清水と村田。ボクシングでは半世紀ぶりの表彰台入りだった 【善理俊哉】

 なぜ日本の戦力は落ちたのか。それを振り返るなら、ロンドン五輪で日本ボクシング界がなぜピークを作れたのかから考えるべきだろう。2012年ロンドン五輪前後、当時は引退して当たり前だった社会人たちが本格的な選手活動を続けた。その基軸を築いたのは、2007年世界選手権で日本史上29年ぶりに表彰台入りをはたした川内将嗣(当時・専修大学)だったと、村田諒太が言う。川内は2008年北京五輪を「ロンドン五輪への経験」と認識し、2大会をかけて五輪の頂点を目指すという、当時では異例の方針を取り、それが他の社会人選手たちを強く刺激したのだ。

 やがて村田が2011年世界選手権で日本人初の銀メダルを獲得。当時は日本のトップメンバー全体の充実度が高く、競技者たちはプロボクシングに対して優越感さえ抱いていた。それが村田の「“アマチュア”って言葉が嫌い。プロに負けている要素がないのに、プロ未満だと思われる」という言葉にもつながっている。

ユース五輪や女子世界選手権でメダル獲得も

 しかし時代は流れ、プロボクシング界は村田のプロ転向などを起爆剤に、勢いを取り戻し、テレビ局やジム経営者もいい意味で競い合っている。一方の五輪を目指す「旧アマチュア」のボクシング界も成績を伸ばし続けた。

「高校からボクシングを始めた選手が、外国人に圧倒されて帰ってくる」が当たり前だった若年層対象の国際大会でも、近年、日本のホープたちはかつてない活躍を見せている。
 2014年南京ユース五輪の出場を3選手が果たし、鈴木稔弘(当時・駿台学園高校)が銀メダル、村田昴(当時・貴志川高校)が銅メダルを獲得した。2014年アジア競技大会でも、日本はボクシングの銅メダルを3つ獲得。この数も近年では最も多い。同年、和田まどか(芦屋大学)は女子世界選手権で日本人初の表彰台入り(銅メダル)を果たした。

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著者プロフィール

1981年埼玉県生まれ。中央大学在学中からライター活動始め、 ボクシングを中心に格闘技全般、五輪スポーツのほかに、海外渡航を生かした外国文化などを主に執筆。井上尚弥と父・真吾氏の自伝『真っすぐに生きる。』(扶桑社)を企画・構成。過去の連載には『GONG格闘技』(イースト・プレス社)での『村田諒太、黄金の問題児』などがある

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