北島康介「本当に幸せな選手生活だった」 現役引退会見 一問一答
平井コーチ「すさまじい精神力を褒めたい」
懐かしい思い出話に、平井コーチにも笑顔がこぼれた 【奥井隆史】
――「北島ロス」という言葉も誕生したが、この2日間どう過ごした?
昨日会わなかっただけで、今日も会いましたので(苦笑)。昨年の9月くらいから、もう1度五輪を真剣にやっていこうということで、前と関係性がすごく変わって、「こういうトレーニングを入れたいと思っているんだけどどう?」ということを話しながら「それ、いいですね」と言ってくれて。練習のことでも本当に相談しながらやっていました。20年やってきたので、北島ロスにならないように他の選手をしっかり鍛えて、リオデジャネイロ五輪で逆に康介に「頑張ってきたぞ」と報告できるようにしたいと思います。あとは「食事に行こう」と言っていて、練習があって全然行けていないので、日常の付き合いというのも始めたいと思っています(一同爆笑)。
――北島さんとの一番の思い出は?
レースが終わってから自分でいろいろと振り返ってみたんですけど、どちらかというとレースの思い出もたくさんあるんですけど、2003年のバルセロナ世界選手権の前に、それも100の予選の前日なんですけど、町に出て(200メートル個人メドレー代表だった)三木二郎くんと康介と3人で買い物に行ったりしたんですよ。それで(現日本水連常務理事の)上野(広治)さんに「お前ら、本当に余裕あるなあ」とか言われたんですけどね。レースでのシビアなこともたくさん思い出があるんですけど、そうしたショッピングに行ったこととか、(高地トレーニングで訪れた米国の)フラッグスタッフで「内緒だぞ、今日の陸トレはゴルフだ!」と言ってゴルフに行って、その後絶対に「練習だけど嫌な顔するなよ」と言うんですけど嫌な顔するんですよね(笑)。全部楽しかったんですけど、競技以外の思い出がよぎってきて……いろいろあります。
――北島さんの指導で一番苦労したことは?
「五輪に中3の康介を連れて行く」、シドニーの後に「4年後のアテネで金を取る」と、僕もすごい目標を掲げていたんですよ。ですから厳しい目で見ていたんですけど、北島康介という選手にはうそをつけないなとすごく思っていました。良い時は良い、良くない時は良くない。優勝しても、「もうちょっとこういうところができる」と思ったら「優勝して良かったけど、次はこういうところを……」と(話をした)。だからあまり褒めてくれない指導者だと思っていたと思うんですけど、僕からすると、本当に素晴らしい選手になってもらいたかったので、うそをつかずに付き合っていくというのが僕の役目だなと思っていました。
――平井コーチが今、一番褒めてあげたいのは?
やっぱりアテネ五輪の直前に(米国の)シエラネバダで合宿をしている時に、ブレンダン・ハンセン選手に世界記録を破られるわけなんですけど、夜中にヘッドコーチから暗い声で「破られたよ」って言われて。次の日の朝に本人に「(記録を)切られたらしいよ」と言ってご飯を食べて練習を始めたんですけど、よくあの時に本当に諦めないで勝負をして勝ってくれたなと。いろいろな褒めたいところがあるんですけど、それが一つです。もう一つは、よくあんなに苦しい思いをしたところ(=シエラネバダ)に(昨年の)11月と2月に自分から(合宿に)行きますと言ったなと思って。あのアテネ前に「金メダルを取ります」と言った中で、よく(逆境を)跳ね返して勝ってくれました。そのすさまじい精神力を褒めたいと思います。