北島康介「本当に幸せな選手生活だった」 現役引退会見 一問一答

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平井先生と最後に五輪に行きたかった

最後のレースを終えた北島は、深々と一礼してプールを去った 【写真:伊藤真吾/アフロスポーツ】

――自分の水泳人生で褒めたいところは? 

 自分で褒めたいってちょっと気持ち悪いなという、恥ずかしいなという気持ちなんですけど(苦笑)。苦しいときがやはり長かったです。(水泳は)記録のスポーツじゃないですか。喜びが味わえるのは本当に一瞬で、水泳の選手は毎日、プールのタイルと勝負しないといけないので、一番は終わった後に言いましたけど、ここまで真剣勝負をやってこれた自分を褒めてあげたいなと思います。今までの競技人生全てです。


――長い競技人生、必ずしも順調ではなかったと思うが、今振り返って一番苦しかった時期は? それをどのように乗り越えた?

 たくさんありすぎですよね。何個も挙げるのもどうかと思うんですけど、2002年のパンパシ(パンパシフィック選手権)の棄権が一番涙しましたね。あの時は肘に注射も打ったし、「俺、こんなに水泳する?」みたいな。肘に針を何百本と打たれて、苦しいなと思いましたし、それよりも痛みとか治療ではなくて、試合に出られない苦しさというのはその時、一番最初に覚えました。平井先生が最初に「金メダルを取ります」と言った時のプレッシャーであったり、(2004年に米国のブレンダン・)ハンセン選手に世界記録を塗り替えられた後の自分の気持ちだとか、精神的なモチベーションを維持したり上げたりするのも必死でしたね。

――これまでも進退について考えることもあったが、その時と今回レースを終えた後の気持ちの違いは?

 いつかは終わりが来るというのは自分の頭の中では分かっていたことなので、五輪に行けなかったという事実をきちんと受け入れることは、(最後のレースとなった日本選手権の)200のレース後に自分の中では整理はついていました。ただただ平井先生と最後に五輪に行きたかったというのが本音です。だから去年は五輪に行くことしか考えていなかったし、自分も絶対に行けると思っていたので……それだけです、残念なのは。

――リオ五輪で金メダルを狙う萩野公介選手、瀬戸大也選手らに経験者としてアドバイスはあるか?

 僕からアドバイスするというのは恐縮なんですけど、僕なんかよりも全然優秀じゃないですか? 萩野選手を見ていると、とんでもない選手だなと思わせてくれましたし、まだ平井先生の指導を仰げるのはうらやましいなというのはすごく思いますね。なのでぜひ、五輪で金メダルを取る感動を味わってほしいなと思います。これをした方がいいよというのはあまりないですね。その辺は平井先生がしっかりと見守ってくれるんじゃないですかね。

泣き我慢から生まれた「チョー気持ちいい」

――今回の日本選手権に向けていくつもの犠牲を払ってきたと言っていたが、それは何か?

 「犠牲」とは言いましたが、犠牲ではないですね。そこには家族の時間も含まれていると思いますし、(自らの)会社で働いてくれているみんなにも時間を取ってあげられず、会社の人間にも感謝しています。でもやっぱり五輪に行きたいから当然のことですし、高地トレーニングにも2回も行かせてもらって、こんなに良い練習ができて、とても幸せでした。

――数々の名言の中で一番気に入っているものは?

 名言ね(笑)。名言は……何だろうな。北島が言うことは本当にごく一部しか切り取られないから、マスコミに対しての不信感は若かりし頃はすごくあったんですけど(笑)。そういうところ(名言)に魅力を感じてくれた皆さんには本当にありがたく思っています。五輪で最初に金メダルを取った時の「チョー気持ちいい」という言葉は、泣きたいのを我慢して言った言葉だったので、それが流行語大賞を取れたのが自分でも不思議でしたし、流行でもなんでもないんじゃないかと思うこともありましたけど、今は自分のネタとして使わせてもらっています(一同爆笑)。

――北島さんにとって金メダルを取ること、自己記録を出すことにはそれぞれどんな意味合いがあった? 競泳は記録が求められる競技だと思うが?

 五輪での金メダルは別物でうれしいです。ただ、自分の自己ベストというのは選手である以上、一生ついてくるものですし、そこをどうしても超えたいという気持ちでみんな練習をしていると思います。一番になりたいというのはその後だと僕は思っていて、例えば世界記録であったり、そうした記録に誰しも執着心があるのかなと思います。記録を出せなくて金メダルを取って「いや、ダメですね」「ちょっとイマイチでした、泳ぎ」という人、たくさんいるじゃないですか。だからみんな、自分の記録を超えていきたいスポーツなのかなと思います。五輪で僕も自己ベストを更新できなくて「あと自己ベストだけ更新したらもっと喜べたのに」という気持ちにもなりました。ただ、五輪の金メダルはまたちょっと違うと思います。「僕、自己ベスト更新しなくていいんで」みたいな選手がいたら、多分平井先生はすごく怒ると思います(笑)。

北京五輪の100平は「会心のレース」

――水泳界、スポーツ界に貢献してほしいという人もたくさんいると思うが、今後どういう形で関わっていきたい? 指導者には興味はある?

 指導者に関しては、この隣にいる平井先生の指導を仰いできて、コーチになりたいと思ったことはあまりないです(笑)。すごい壁が目の前にいて、平井コーチを目指して頑張っている若いコーチもたくさんいますし、僕の中で一番のコーチであるのは平井先生なので、そこにあえて勝負しにいきたいとは思わないですね。興味がないとは思わないですけど、指導者にすごくなりたいですということはあまり考えていません。

 日本のスポーツ界であったり水泳界に貢献したいという気持ちは非常に強いので、まだ自分に何ができるかは分からないですけど、自分の会社のスイミングスクールで子どもたちに教えることはもう何年もやってきているので、少し会社を離れた分、今はそちらに少しだけ目を向けてやっていけたらいいかなと思っています。

――五輪でのベストレースを一つ挙げるとしたら?

 北京(五輪)の100じゃないですかね。予選からの流れもあって、(アレクサンドル・)ダーレオーエン選手(ノルウェー)がすごい強かったというのと、100パーセント勝てるか分からないというところが正直あった中でああいうレースができたというのが、金メダルも記録も含め、パーフェクトな泳ぎができた、会心のレースができたのかなと思います。

――今のようにキラキラしてあらゆるものが輝く中でレースができるようになったのは、北島さん以降だと思う。今の水泳界の現状や華々しさをどう考えている?

 僕がキラキラさせているわけではないので何とも言えないんですけど、昔は昔で良かった面もあるかなと思います。華やかと思えてしまうのもアレかなと思うんですけど、でもそれを見て子どもたちが「こんな大会に出てみたい」とか「こうやって注目される選手になりたい」とか「ああいうふうに強くなりたい」「あんな発言したい」と思ってくれる子が増えたというのは事実だと思います。池江(璃花子)さんとかはあまり分かっていないと思うんですけど(苦笑)、萩野くんとか「ずっと見てました」と言ってくれる世代が今度五輪で戦うじゃないですか。そういう選手たちが僕の背中を見て「強くなりたい」「ああいうふうになりたい」と思ってもらえたことは非常に光栄ですし、また彼らが日本の水泳界を盛り上げてほしいなと、本当に心の底からそういうふうに思っています。

<次ページに平井コーチの一問一答>

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