日本フットサル界が失った大きなもの 「経験不足」露呈でW杯出場を逃す
流れが変わった1本のFK
最終的には自分の判断と自らを責める関口は、「そこで3枚にしていたら、直接シュートを打たずにパスを出していたと思うんです。そこからどう流れが変わったかは分かりませんが、違う状況になっていたと思う。そこを振り返ると本当に悔しいです」と、唇を噛む。関口自身、このプレーによる動揺はなかったと話すが、ファインダー越しに見えた表情は冷静さを欠いたように見え、延長戦で決められた同点ゴールも、普段の彼なら止めることのできたものだった。
関口にとって今大会は、初めて正GKとして臨む大会だった。これまで02年大会から12年大会までの10大会に渡って、日本は川原永光が正GKとしてプレーしていたが、昨季プレーするクラブが見つからなくなり、ひっそりと現役を引退していた。大舞台を経験しているベテランが残っていれば、欧州でベスト4のクラブでプレーしているとはいえ、チーム最年少の選手に耳を傾けず、失点しても動揺なくプレーできていたのではないだろうか。
どこよりも早く20年へのリスタートを
決勝戦が行われたウズベキスタンスタジアムには、3人の日本代表選手が観戦に訪れていた。そのうちの一人である仁部屋和弘(バサジィ大分)は、自分たちが戦うはずだった試合を会場で見ることで、次に動き出すエネルギーを蓄えたという。「悔しい経験を蓄積するために見に行きました。その経験がプレーにも、人間性にも出てくると思ったので。切り替えるのは簡単なことではありませんが、ここから切り替えることができれば、僕たちは16年大会に出るどの国よりも早く20年大会へのスタートが切れます。立ち止まっている暇はありません。僕たちが作ってしまった歴史は変わらないので、次に向けてスタートを切らなければいけない」と、前を向いた。
日本フットサル界が失ったものは、果てしなく大きい。しかし、歴史は変わらないし、時間は進み続けている。何が起きたのかを検証しつつも、しっかりと行動を起こしていかなければならない。