首位独走と突然の失速のはざまで J2・J3漫遊記 レノファ山口<前編>

宇都宮徹壱

選手たちが語る指揮官・上野展裕

今季、キャプテンを務める島屋。攻撃に関しては「約束事のようなものは特にない」と語る 【宇都宮徹壱】

 上野のチーム作りと戦術について、今度は選手のコメントから探ってみることにしたい。まずは攻撃と守備に関して、どのような約束事があるのだろうか。答えてくれたのは、この日のゲームキャプテンで左MFの島屋、そして今季加入の左サイドバック(SB)の香川勇気である。

「約束事のようなものは特にないですね。ただ、選手がそれぞれの良さを生かし合うことは常に考えています。例えば岸田は裏に抜けるスピードがあるし、福満は技術がしっかりしている。特に福満は、前のチーム(HOYO大分=現ヴェルスパ大分)で一緒にプレーしていましたから、信頼してパスを出したりボールを要求したりしていますね」(島屋)

「ウチは前に人数がかかるスタイルなので、スペースの埋め方についてはボランチやセンターバックがこまめにやっていますね。SBも攻撃時のカバーリングやリスクマネジメントが求められています。あと、SBからスイッチが入ることが多いので、攻撃の起点となることも意識していますね」(香川)

 話を聞く限り、特別なことをやっているわけではなさそうだ。むしろ上野の指導者としての真骨頂は、他のチームで埋もれているタレントや無名の選手を引っ張ってきて、その潜在能力を極限まで高める手腕にある。その代表格はやはりFWの岸田であろう。町田時代は前線からのプレッシングが主な仕事で、わずか4ゴールに終わった(13年)。しかし上野にストライカーとしての素質を見いだされ、14年は17ゴールを挙げてJFL得点王、今季もJ3得点ランキングを独走中である(編集部註:今季終了時32ゴールで得点王となった)。また、不動のボランチとなっている小塚も、攻撃的なポジションから上野の判断でコンバートされている。以下、当人の証言。

「去年は左サイドハーフやFWで起用されることが多かったですね。上野さんから『今季からボランチをやってくれ』と言われたときには『何で?』と思いましたけれど、今では自分の良さを生かせていると思います。基本的に組み立てるのが仕事ですが、いろいろなところに顔を出して、最後はゴールを狙うことを監督からは求められていますね」

 さて、今でこそ「攻撃サッカーの信奉者」というイメージが強い上野だが、ツエーゲン金沢の監督をしていた頃はもっと手堅いサッカーをやっていた。特に金沢を地域リーグからJFLに昇格させた09年は、当時所属していた3人のブラジル人選手に攻撃を任せ、あとはひたすら失点をしないサッカーに徹していたと記憶する。チーム最年長で、JFL時代の金沢で上野の指導を受けた平林は、こう証言する。

「確かに金沢のときは守備重視で、攻撃は選手のアイデアを生かしながらやっていた感じでした。今は選手の質が上がったからか、それとも時代に合わせているのか分かりませんが、攻撃に関してはより緻密なつなぐサッカーをしているイメージですね」

限られた環境の中で、上を目指していく

練習用の備品をチェックする上野監督。裏方も現場もまだまだマンパワーは足りていない 【宇都宮徹壱】

 ホームで長野に敗れた3日後、上野本人に話を聞くべく、練習が行われる山口県セミナーパークを訪れる。まず驚いたのが、用具の搬入から練習の準備、そして実際の指導のほとんどを上野ひとりが行っていたことだ。トレーナーはいるものの、ヘッドコーチもGKコーチもフィジカルコーチもいない(コーチの肩書を持つ中山元気は、今季からU−18の監督に専念)。山口では裏方のスタッフがさまざまな仕事を兼務しているが、実は現場もかなりマンパワーが不足している。そんな中、アルビレックス新潟のヘッドコーチという肩書を捨ててまで山口にやって来た理由は何だったのか。上野の答えは少し意外なものであった。

「直接のきっかけは、河村(孝)社長から声をかけてもらったことですね。彼とは1シーズンだけですがマツダで一緒にプレーしていて、その後も連絡は取り合っていました。山口については、サンフレッチェ(広島)でコーチをやっていましたので、ポテンシャルは感じていましたね。山陽地方はスポーツが盛んだし、九州からも東京からも選手が来てくれる。それと維新があるのが大きかった。金沢時代は、Jに上がるためにスタジアムでかなり苦労しましたから。ですので『ここなら力を発揮できる』と直感しました」

 練習で選手に求めることは何かと尋ねると、「コンビネーションプレーを楽しんでほしい。こちらも選手が楽しくやってくれるように考えています」。トレーニングでは、狭いスペースでのワンタッチパスや素早い攻守の切り替えに多くの時間が割かれていた。確かに選手は楽しそうにやっているが、ミスがあると怒号にも似た厳しい声が選手間で飛び交う。若い選手が多いため、互いにはっきり指摘し合うことが当たり前になっているようだ。予算もない、スタッフも足りない、経験のある選手も少ない。そうした環境にあって、指揮官も選手も「自分たちが今できること」を精いっぱいやっているという印象を受ける。

「確かに、もう少し経験ある選手がいたら、長野戦も引き分けに持ち込めたかもしれない。良くも悪くも、若いチームですよね。でも若いということは、それだけ伸びしろやポテンシャルがあるととらえていますし、みんなエリートではないので、だからこそ『やってやろう』という気持ちは持っています。もちろん、できればもっと予算やスタッフもほしいですよ(苦笑)。でも今は限られた環境の中で、上を目指していくしかないですね」

 山口はその後、ガイナーレ鳥取との最終戦を2−2で乗り切り、町田の猛追を振りきってJ3優勝とJ2自動昇格を果たした。限られた予算と戦力とマンパワーでの快挙には、心からの賞賛と敬意を表したい。それにしても、このレノファ山口というクラブはどのような歴史をたどりながら、わずか3シーズンで地域リーグからJ2へと駆け上がったのだろうか。後編となる次回では、このクラブの知られざる歴史にフォーカスする。

<後編につづく。文中敬称略>

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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