香川真司はどうすれば生きるのか? 「代表で輝けない10番」から脱却できず

元川悦子

「点を取れる新たな10番像」を求めた5年間

「点を取れる新たな10番像を作っていきたい」という香川のテーマは5年前から続いている 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 この命題は、彼がエースナンバー10を背負った11年アジアカップ(カタール)から足掛け5年ずっと続いているテーマだ。

 アルベルト・ザッケローニ監督時代は、4−2−3−1の左サイドでベストな役割を考え続けた結果、14年のワールドカップ・ブラジル大会では極度の不振に陥った。後を引き継いだハビエル・アギーレ監督時代は左インサイドハーフとして新境地を開拓しようと意欲的に取り組んだが、15年の幕開けとなったアジアカップ(オーストラリア)では彼自身の得点力不足とPK失敗でUAEに敗れ(1−1からのPK戦で4−5)、まさかの8強止まりに終わった。

 直後に発足したハリルホジッチ体制では、以前から求め続けていたトップ下の定位置を与えられ、香川の良さが前面に出ると期待が高まったが、6月の2次予選初戦・シンガポール戦(0−0)では後半16分での途中交代という屈辱を味わう。9月のアフガニスタン戦(6−0、テヘラン)以降は尻上がりに調子を上げてきたものの、今回の11月シリーズは残念ながら不発。いずれも中途半端感が拭えない。

「14年は結果が出なくて厳しさを感じた年だった。だからこそ、15年は良い年にしたい。そのためには結果が必要」と彼は代表の練習があった元日にこんな抱負を口にしていたが、今年の日本代表では14試合出場4ゴール。完全なブレークを果たしたとは言い切れない状況だ。

 特にハリルホジッチ体制になってからのゴールシーンを振り返ってみると、完全に崩して奪った理想に近い得点は、原口元気からリターンを受けて左の角度のないところから決めた9月のアフガニスタン戦の3点目だけ。「代表ではゲームメークと得点の両方を求めていきたい。ゴール前に入り込んでいく回数をより増やさなければいけないのと同時に、どんどんボールに絡んでいく回数も増やしたい」という彼の思惑通りになっていないのが現実である。

 香川は10番を背負った時から「点を取れる新たな10番像を作っていきたい」と大目標を掲げていたから、ゴールを誰よりも強く追い求める気持ちはよく分かる。実際、ドルトムントで最初にプレーした10−11、11−12シーズンはフィニッシャーの色合いが非常に濃い選手で、実際に得点も量産していた。けれども、最近はゴールを固執すればするほど中盤でボールを触る回数が減り、前線で孤立したり、岡崎ら他のアタッカーと動きが重なるといった悪循環に陥りがちだ。

ゲームメークに軸足を置くスタイルを代表でも

代表でも、ゲームメークに軸足を置くスタイルが香川が生きるすべなのかもしれない 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 こうした現状を踏まえ、ここで一度、ドルトムントでやっているようなお膳立てに軸足を置くスタイルに戻ってみるのはどうだろう。代表でも「ゲームメーク7割・ゴール3割」くらいの比率でプレーすれば、もっと肩の力が抜け、自然体で持ち前の創造性とアイデア、テクニックを前面に出せる可能性は少なくない。

「今季のシンジは献身的にチームプレーに貢献しているし、身を粉にして働いてくれている。決して簡単にボールを失わないし、貪欲にチャンスを作り出そうとする。われわれのチャンスのほとんどに彼が絡んでいるし、数多くのアシストをもたらしている。それはわれわれにとって非常にハッピーなことだ」とトゥヘル監督が今季の香川を絶賛していたが、ボールタッチの回数を増やせるのはやはり中盤だ。

 もちろんハリルホジッチ監督の起用法や戦術、チームビジョンにもよるが、指揮官もそろそろ香川のベストな使い方を見定めるべきではないか。それによっては、4−3−3や4−4−2のようなフォーメーションの採用も考えられるかもしれない。

 とにかく香川には、このまま宙ぶらりんなイメージで終わってほしくない。ドルトムントでの異次元の輝きを日本代表でも見たいと願う人々は非常に多い。それはハリルホジッチ監督や代表のチームメートも同じはずだ。今回、ポジションの重なるライバル・清武弘嗣が再び右足第5中足骨骨折に見舞われたこともあり、16年も引き続き香川に寄せられる期待と責任は大きい。彼自身も今年1年間のパフォーマンスを客観的に分析して、今後の自分がどうあるべきかを明確にする努力を惜しまないでほしいものだ。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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