競泳代表がチーム力を発揮できる理由 大きかった精神的支柱としての北島の存在

田坂友暁

多方面から注目を集める競泳日本代表の『チーム力』はいかに生み出されていったのか 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 競泳日本代表の『チーム力』は、スポーツ界だけではなく、多方面から大きな注目を集めている。その理由は、単にチームとして高い競技力を発揮しているだけではない。もともと個人競技であるにもかかわらず、チームの存在が個々の選手に力を与え、結果として高いパフォーマンスを発揮できる要因になっているからだ。

 しかし、昔からチーム力を大切にする考え方があったわけではない。選手個々のやり方を尊重する時代から変革期を経て、ひとつの成果が表れたのが2004年のアテネ五輪だった。その後、チームは成長を続け、12年のロンドン五輪で過去最高となる11個のメダルを獲得する。

きっかけは惨敗を喫したアトランタ五輪

 1980年代は、ひとりのヘッドコーチが日本代表選手全員の練習を総括する、という大きなチームとして行動しており、代表選手たちの多くは、自分が普段から行っている練習とは異なる練習内容と調整法で、世界大会に臨んでいた。だが個人種目である以上、競泳で選手が結果を残すためには、大事な試合の前に指導者が変わるより、自分をよく知る指導者に見てもらい、普段通りの調整法で大会を迎えたほうが結果を残すことはできるだろう。そこで90年代には日本代表でありながら、所属でのトレーニングをメーンに行うような方針を掲げ、世界大会でのメダル数増加を図る。

 ところが、96年のアトランタ五輪でメダルなしという結末を迎えてしまう。さまざまな原因が悪いほうに絡み合ってしまった結果ではあるが、その中のひとつが個人での結果を求めすぎるあまり、選手間、コーチ間のコミュニケーションが不足していたことが挙げられる。

 周囲の重圧や過度な期待などの強いストレスが選手に降りかかる五輪に対して、この時に臨んだチーム構成は中高生が中心で、しかも26人の代表選手のうち20人が初出場という若いチームだった。そのため、緊張でガチガチになっている若手を助けたり、アドバイスしたりする精神的支柱がおらず、指導者間の情報交換も少なく、選手に対するメンタルケアが遅れた。レース本番が始まる以前の問題で、選手たちは戦う準備すらできていなかったのだ。

アテネで表れた『チーム戦』の成果

 この結果を受けて、日本代表チームが改革に取り組んだのが97年のこと。世界とメダル争いをするためには、選手個々で強化するのではなく、チームとして気持ちをひとつにまとめて戦う方針を打ち出した。

 目標までに選手たちがたどる道程は違ってもいい。ただし『世界と決勝の舞台で戦う』『世界でメダルを取る』というチーム共通のゴールは同じにする。そのためには何をすれば良いのか、どういう作戦を立てれば良いのか。個々で考えるのではなく、チームとして所属の垣根を超えて指導者全員、選手全員で考えさせるようにした。その成果は、アトランタ五輪から8年後のアテネ五輪で表れる。

 金メダル3個を含めた合計8個のメダルを獲得し、7人のメダリストが生まれたのだ。メダル獲得を命題に設けられた厳しい選考基準を突破したことで、選手全員が「メダルを取る」「世界と勝負する」という同じ思いを持ち、“強い絆”で結ばれたひとつの『チーム』としての力を武器に五輪に挑んだ結果である。

北島が生み出した相乗効果

アテネ五輪で金メダル2つを獲得し、結果でチームを鼓舞した北島 【写真:アフロスポーツ】

 アテネ五輪でこれほど大きな仕事を成し遂げた理由のひとつに、北島康介(日本コカ・コーラ)の存在がある。チーム全体の大きな目標として「北島に金メダルを取らせる」という気持ちを持ち、指導者同士が連携して情報交換を行い、トレーナーなどのサポート体制がつくられた。また、選手や指導者間のコミュニケーションが密にとられていたので「何で北島だけなんだ」という不満ではなく、良い刺激となって「一緒のチームの自分だって頑張れる」「自分だって負けずにメダルを取る」という決意につながった。

 アテネ五輪2日目の100メートル平泳ぎで、北島が金メダルを獲得してチームの大きな目標を達成した時、「自分も北島に続け!」「北島と一緒にやってきた自分だってメダルを取れる!」という思いがチームに一気に広がり、チーム全体に良い流れが生み出された。この相乗効果こそが、日本代表が手にした『チーム力』なのだ。

 本物の『チーム力』の効果を体現してきた先輩の姿を目の当たりにした後輩たちに、そのDNAは受け継がれていく。次世代から次世代へとつながっていった『チーム力』は、12年のロンドン五輪で過去最高となる11個のメダルを獲得して『27人全員のリレー』という言葉とともに大きな花を咲かせたのである。

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著者プロフィール

1980年、兵庫県生まれ。バタフライの選手として全国大会で数々の入賞、優勝を経験し、現役最高成績は日本ランキング4位、世界ランキング47位。この経験を生かして『月刊SWIM』編集部に所属し、多くの特集や連載記事、大会リポート、インタビュー記事、ハウツーDVDの作成などを手がける。2013年からフリーランスのエディター・ライターとして活動を開始。水泳の知識とアスリート経験を生かした幅広いテーマで水泳を中心に取材・執筆を行っている。

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