競泳代表がチーム力を発揮できる理由 大きかった精神的支柱としての北島の存在
多方面から注目を集める競泳日本代表の『チーム力』はいかに生み出されていったのか 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】
しかし、昔からチーム力を大切にする考え方があったわけではない。選手個々のやり方を尊重する時代から変革期を経て、ひとつの成果が表れたのが2004年のアテネ五輪だった。その後、チームは成長を続け、12年のロンドン五輪で過去最高となる11個のメダルを獲得する。
きっかけは惨敗を喫したアトランタ五輪
ところが、96年のアトランタ五輪でメダルなしという結末を迎えてしまう。さまざまな原因が悪いほうに絡み合ってしまった結果ではあるが、その中のひとつが個人での結果を求めすぎるあまり、選手間、コーチ間のコミュニケーションが不足していたことが挙げられる。
周囲の重圧や過度な期待などの強いストレスが選手に降りかかる五輪に対して、この時に臨んだチーム構成は中高生が中心で、しかも26人の代表選手のうち20人が初出場という若いチームだった。そのため、緊張でガチガチになっている若手を助けたり、アドバイスしたりする精神的支柱がおらず、指導者間の情報交換も少なく、選手に対するメンタルケアが遅れた。レース本番が始まる以前の問題で、選手たちは戦う準備すらできていなかったのだ。
アテネで表れた『チーム戦』の成果
目標までに選手たちがたどる道程は違ってもいい。ただし『世界と決勝の舞台で戦う』『世界でメダルを取る』というチーム共通のゴールは同じにする。そのためには何をすれば良いのか、どういう作戦を立てれば良いのか。個々で考えるのではなく、チームとして所属の垣根を超えて指導者全員、選手全員で考えさせるようにした。その成果は、アトランタ五輪から8年後のアテネ五輪で表れる。
金メダル3個を含めた合計8個のメダルを獲得し、7人のメダリストが生まれたのだ。メダル獲得を命題に設けられた厳しい選考基準を突破したことで、選手全員が「メダルを取る」「世界と勝負する」という同じ思いを持ち、“強い絆”で結ばれたひとつの『チーム』としての力を武器に五輪に挑んだ結果である。
北島が生み出した相乗効果
アテネ五輪で金メダル2つを獲得し、結果でチームを鼓舞した北島 【写真:アフロスポーツ】
アテネ五輪2日目の100メートル平泳ぎで、北島が金メダルを獲得してチームの大きな目標を達成した時、「自分も北島に続け!」「北島と一緒にやってきた自分だってメダルを取れる!」という思いがチームに一気に広がり、チーム全体に良い流れが生み出された。この相乗効果こそが、日本代表が手にした『チーム力』なのだ。
本物の『チーム力』の効果を体現してきた先輩の姿を目の当たりにした後輩たちに、そのDNAは受け継がれていく。次世代から次世代へとつながっていった『チーム力』は、12年のロンドン五輪で過去最高となる11個のメダルを獲得して『27人全員のリレー』という言葉とともに大きな花を咲かせたのである。