青木祐奈「人を感動させるスケーターに」 女子フィギュアのホープが見せた素顔
3年後の平昌五輪を目指す青木裕奈が描く未来とは!? 【坂本清】
羽生に受けたアドバイス
スケートを始めたのは5歳で、(都築)先生に指導してもらうようになったのが6歳です。06年のトリノ五輪で荒川静香さんの演技を見て、こんなふうにきれいに滑りたいなって思ったのがきっかけです。
――そのときはまだ4歳ですよね(02年1月10日生まれ)。どういうことが印象に残っていますか?
イナバウアーは有名ですけど、それ以外のところも、ジャンプもスピンも含め動きがすべてきれいだったのが印象に残っています。特にすごいなと思ったのは表現です。1つ1つの動かし方がきれいで、こんなふうになりたいなって。
――初めてスケートをしたときのことを覚えていますか?
東神奈川のリンクで、寒かったっていうのと面白かったっていうのは覚えてます。最初は全然滑れなくて、お母さんと手をつなぎながら壁を持ってよちよちって感じだったんです。でも楽しくなって教室に通うようになってからは少しは滑れるようになりました。
――羽生選手と一緒のリンクで練習していた時期(11年3月の震災後)もありますよね。見ていてどういうところがすごいと思いましたか?
羽生君はジャンプがとにかくすごくて、軸が常にできています。先生が昔、羽生君を教えていたので、そういうところはまねしていきたいなと思います。
――羽生選手からアドバイスは受けましたか?
陸上で回転練習をしていたんですけど、そのときに「もうちょっと軸を作った方がいいよ」と言われたのが印象に残っています。今もジャンプが崩れちゃったときに思い出してやっています。
――4月の世界国別対抗戦のときに久々に会ったそうですね。
リンクに来たときはまだ日本代表に入ったばかりでしたけど、高橋大輔選手とかもっと上の人がいたというイメージでした。でも五輪で優勝しちゃって、今は本当に上の上の存在。会えるだけで光栄だなって思っています(笑)。
憧れの羽生結弦と練習していたことも。ジャンプが崩れたときは、「軸を作った方がいい」とのアドバイスを思い出すという 【スポーツナビ】
「嘘かと思った」全日本ノービス優勝
私が自主練でスピンをやっていて、全然まだ誰にも教えてもらっていなかったので、見てまねをしてっていう感じだったんです。そうしたら都築先生が声をかけてくれて、何も言っていないのに教えてくれました。とても丁寧に、しかもただ回るだけじゃなくてきれいに回れるようにと教えてくれたので、すごい先生だなって。
――指導は厳しいんですか?
小さいころは全然だったんですけど、今は厳しいです(苦笑)。ジャンプはもちろん跳べなかったら怒られたり注意されたり、「こうしなさい」とよく言われます。最近は表現にもすごくこだわってくれて、手の使い方も「もっと大きく」とかそういうアドバイスをもらいます。
6歳から師事する都築章一郎コーチ。最近は表現面の向上にも力を入れている 【スポーツナビ】
はい。今シーズンのショートプログラム(SP)『タイスの瞑想曲』は今までと違う曲調なので、柔らかい感じの手の使い方や体の動かし方をしないといけないんですけど、まだできていなくて……。プロやトップの選手ってすごく手や体の使い方がうまいじゃないですか。先生もそういうふうにしたいと思うので、「もっともっと」って言われます。
――そうした都築先生の指導もあり、昨年は全日本ノービスで優勝しました。
本当に嘘かと思って(笑)。自分の中で100点を超えるという目標があって、ノーミスでできたらいけるような内容だったんですけど、まさか超えられると思っていなかったので、飛び跳ねてちょっと泣きました。
――優勝できるとは思っていなかった?
あんまり思っていませんでした。狙ってはいたんですけど、そんな簡単に優勝できる大会ではないので。とりあえず自分の演技ができればいいなと思っていました。
――優勝したとき、先生や友達からは何か言われましたか?
先生もすごく喜んでくれて「良かったね」って。友達もみんな仲が良いので「おめでとう」と言ってくれました。