「コンパクトで本物の自信作だった」 イビチャ・オシムが語る当時の日本代表

宇都宮徹壱

「本田はあまりに先を急ぎ過ぎた」

南アフリカW杯直前で日本代表の中心選手となった本田(写真)について「あまりに先を急ぎ過ぎた」とオシム氏 【宇都宮徹壱】

――後任となった岡田氏は、本大会の直前になってチームの攻撃の中心を中村俊輔から本田圭佑に変える決断を下しました。オシムさんも同じ判断をしたと思いますか?

 私はその決断を尊重する。監督がそうしたということは、(本田が中心選手に)ふさわしいという判断をしたわけだから。岡田は自分の仕事が分かっていて、何がベストなのかを知っていたはずだ。私は今でも彼がベストの判断をしたと思っている。

――本田を最初に代表に招集したのはオシムさんでした。本田があれだけの選手になると、当時は予想できたでしょうか?

 もっと良いやり方があったのではないかと、今となっては思うね。本田はあまりにも先を急ぎ過ぎた。あまりにも急にメディアの関心の的となったし、欧州に行ったのも早すぎたのではないか。もっと段階を踏むべきだったのではないかとね。彼は(10年W杯で)チームリーダーとなったが、当時の彼はまだ若く、そのことに精神的に耐えるのは難しかったと思う。もちろん彼としても、あの時点で自分の存在意義を証明したかったと思うのだが、当時の年齢を考えると早過ぎたのかもしれない。

――10年W杯での日本代表の戦い方については、いかがでしょうか? 守備的な戦いをしたのは仕方がなかったと思いますか?

 君たちに言っておくが、監督というのはメディアや他のさまざまな要因によって簡単に職を失う。誰にとっても職を失うのは気持ちの良いことではないから、人はしばしば自分の座を守るためにベストと思われる方法を採るものだ。だがサッカーにおいて、それは多かれ少なかれ誤った考え方でもある。もし負けなければ、すなわち守備的に戦えば、より長く監督の座に残れるという考え方だ。チームが負けなければ、監督を代える理由がないからな。

――もしオシムさんが南アフリカで監督をしていたら、結果よりもサッカーの質を重視した戦術を採っていましたか?

 まず、目標というものがある。(当時の)われわれにとって、確実にW杯に出場できるチームを作ることが目標であった。しかも本大会では恥をかかず、サプライズも起こせるチームを送り出すこと。段階的に、すべての対戦相手にとって非常に手ごわいチームを作るということ。それが私の目標だった。

 もちろん、こういったことに関しては現実的にならねばならないし、夢だけを見ることはできない。「世界一になる」という夢を見るのは素敵なことだが、夢というのは簡単に崩れるからな。それでも、時には目を開いたままで夢を見なければならないのがサッカーというものだ。表彰台で優勝トロフィーを手にすること――。それは美しいイマジネーションではあるが、実現しなければならないことでもあるんだよ。

「重要なのは、日本が何をしたいか」

「日本という国に対して、私は借りがある」と語るオシム氏。今後も深い愛に根ざした鋭い提言を期待したい 【宇都宮徹壱】

――その後も日本のサッカースタイルは、いろいろと揺れ動いています。日本独自のスタイルというものは、なかなか定着していない状況が続いています。

 それはやはり、チームを率いる者次第だろう。だが重要なのは、日本として何をしたいか、ということだ。何が第一の目標なのか。再びW杯予選を突破することなのか、アジア王者になることなのか。あるいは今とは違った方針を打ち立て、海外でプレーする選手を減らして日本にとどまらせ、より頻繁に試合に出場させながら成長させることなのか。

 いずれにせよ「日本はW杯に出場できなくなるのではないか」といったことを考えるべきではない。日本はほぼ確実にW杯には出場できる。だから自信を持つことだ。代表はサポーターに対して、不信感を与えてはならない。そして夢想するだけではなく、より完璧に近い仕事をすること。イメージしたことを実現していくことが(日本が目指すべき)目標なんだ。

――日本を去って8年が過ぎて、今なおオシムさんに教えを請おうとする日本のメディアはあとを絶ちません。この状況について、ご自身ではどうお考えでしょうか?

 なぜなんだろうな。私が知りたいよ(苦笑)。私自身は普通に振る舞い、自分の仕事をしているだけだ。私が語ってきたことは、多かれ少なかれ自分の人生で経験してきたことや哲学に基づいたものであり、だからこそ「準備をしておくように」という話をするのだ。うまくいっている時から一気に暗転するということは、誰の身にも振りかかることだからね。もしも私が脳梗塞を起こさなかったら、こういう考え方はしなかったかもしれない。あの時に私は知ったんだ。人生では何事も起こり得る、ということをね。もちろん、人生はいつも悪いことばかりではないが。

――あらためて、日本のファンに伝えたいメッセージはありますか?

 1億何千万もいる国民に対して、どんなメッセージを送ればいいんだね? そうだな。悲劇的に思えることのすべては悲劇ではなく、学ぶことも多い。戦争や原爆、大地震や津波や原発事故。日本はそういった悲劇を何度も経験しながら、それらを乗り越えてきた。日本人は国民として、民族として、非常にタフで粘り強いということだ。そして日本人には、他に例を見ないクオリティーがある。そんな日本という国に対して、私には借りがある。日本が私を救ってくれた。もし日本で仕事をしていなかったら、もっと早くに私は死んでいただろうな。

――どうかこれからも長生きしてください。できれば日本がW杯で優勝するまで。

 ありがとう。またサラエボに来るといい。

(通訳:ジェキチ美穂)

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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