FC町田ゼルビアユースが6部から全国へ 躍進の背景にあった伝統と革新
“革新”を担った竹中と酒井
育成の“革新”を担った酒井は町田育ちの元Jリーガー 【大島和人】
大きな流れを引き継ぎつつも、育成の“革新”を担ったのが竹中と酒井である。竹中は海外経験もある元プロ選手だが、そのキャリアは型破りなものだ。英語を満足に話せない状態でイングランドに渡り、体当たりで人間関係を構築。「代理人と会って、リトアニアを紹介できると言ってくれたので飛びついた」(竹中)という豪傑である。リトアニアのクラブで2年半を過ごした彼は、帰国して03年に横浜FCでプレー。バイタリティーとハングリーさを見込まれて、04年に選手兼“職員第1号”としてこのクラブに迎えられた。FC町田とは絡んでいないが、彼も町田育ちである。
酒井もザスパ草津を退団し、06年に町田へ帰ってきた。彼らはJを目指していたトップチームでプレーしつつ、スクール事業の立ち上げに力を尽くす。
「最初は3人くらいで全て事務作業もやっていた。(竹中は)選手兼コーチ兼スクールマスターです。竹さん家に電話を引っ張って、申し込みを受け付けた。(ゼルビアのスクールは)竹さんのアパートから始まった」(酒井)
「初めてゼルビアでスクール生をサマーキャンプに連れて行ったときの子。トマトが食えなくて泣きながら食っていた」(酒井)という白井聖也も、今はユースで活躍している。
わずか3年半で全国の舞台へ
そんな彼から見ると、強化という面では心許ない部分もあったようだ。「トップがあって、スクールがある。その脇にジュニアユース、ユースがくっついている感じだった。僕が来る前に(ユースの)セレクションは終わっていたんだけど、15人くらいしか来ていなくて……。全員合格でそのうちの7人くらいしか来ないとか、そういう世界だった」(楠瀬)
しかし、町田ユースはスクールからの積み上げがあったとはいえ、そこから3年半で全国の舞台に躍り出た。楠瀬も今回の躍進については「思ったより1年2年早く結果が出た」と驚く。
竹中が実戦する“ハート”で伝える指導
ユースの監督を務める竹中は“ハート”で伝える指導で選手たちのコンプレックスを取り去った 【大島和人】
町田ユースが格上を倒すためには、相手以上に頑張るしかない。しかし竹中自身は「球際だとか、頑張るチームになろうなんてことは一言も普段は発していない。むしろ発しないようにしている」と説明する。そこは言葉でなく“ハート”で伝える部分なのだろう。
T4という立ち位置に加えて、今年の3年生は昨年からのレギュラーが加倉井しかいない“谷間”の世代だった。そんな中で竹中が心を砕いたのは、選手たちのコンプレックスを取り去ること。練習から良いプレーや判断を指摘し、試合中も「お前の方が上だよ」と煽ることさえあるという。心のブレーキを開放した選手たちは、物怖じしないプレーで結果を出した。
全国の舞台でさらなる躍進なるか!?
竹中が「トップで預かってくれないかなと思う素材」と評価するのは、背番号10を背負う2年生・青木義孝。セントラルMFながら「3人くらいちぎりながら、ペナルティーエリアにするするっと入っていく」(竹中監督)という突破が持ち味だ。1年生サイドバックの須藤友介も、東京都の国体選抜候補(U−16)に名を連ねる有望株だ。
6月末に行われた組み合わせ抽選の結果、町田は名古屋グランパス、モンテディオ山形、横浜FCと同じAグループに入った。関東予選と同じ戦いができれば1勝はもちろん、ベスト16進出も十分に可能だろう。もちろんそれは歴史の出発点であり、ゴールではない。トップの主力となる選手を送り出して、初めてユースの活動は意味を持つからだ。
しかし竹中は「速度はゆっくりですけど、後退はない。間違いなく成長している」と胸を張る。きっとそう遠くない未来に、選手とスタッフの努力は結果として実を結ぶだろう。町田の伝統、土壌を生かした新興勢力として、FC町田ゼルビアのユース、そしてトップの可能性は拡がっている。