才能発掘に必要な野球代表の価値向上 元ロッテ・清水直行、NZでの挑戦(6)

清水直行

U‐12世代のトライアル実施

「カル・リプケントーナメント」に出場するU‐12ニュージーランド代表のトライアウトが実施された 【(C)SAMURAI JAPAN】

 午後2時、ニュージーランド最大の都市・オークランドのハウイックという地域の野球フィールドに子供たちが集合していた。ここは年間を通して野球フィールドとして使用できる貴重な場所だ。今回ここで行われたのが、7月末から米国で開催される「カル・リプケントーナメント」に出場するU‐12ニュージーランド代表トライアルの第1回目だ。日本が参加を決定している、「IBAF U−12ワールドカップ」へは、資金の都合上で参加ができない。そういったこともニュージーランド野球の現状だ。

「カル・リプケントーナメント」は、U‐12世代にとって世界的な大会の1つとなっている。年代は規定の通り12歳以下で構成されるため、1カ月ほど前からニュージーランド野球連盟が各クラブにトライアル実施をアナウンスしていた。もちろんクラブに所属していなくても参加は可能だ。

 各世代の代表を結成する時に、ニュージーランド野球連盟は、今回のような「トライアル」を実施している。ナショナルチームとしての公平性を持たせるため、数日に分けてオークランド、ウェリントン、クライストチャーチで実施するようにしている。この日は1回目のオークランドだった。

各自にトレーニングを積んできた子供たち

ポジションごとに行われたトライアル。中にはオーストラリアから参加した子供もいた 【(C)SAMURAI JAPAN】

 グラウンド上では、すでに50名以上の子供たちがウォーミングアップを始めている。子供たちの様子を見ていると、ふと疑問を感じた。野球シーズンは4月の中旬で終わっているのに、彼らは今日までどこでどのような準備をしてきたのだろう?

 私はその子供たちの様子をグランドでチェックをしていたが、フェンスの外で見守る保護者やクラブの関係者から事情を聞いてみることにした。あるクラブでは週に1度だけ、自由参加で練習会を実施していたそうだ。ある子供はトレーナーと共に練習を積んできていた。その他の子供たちは各自でトレーニングをしていたらしい。そういえば、私も子供のころ所属していた野球チームの練習がない日は、当時住んでいた団地の周りをランニング、自転車置き場や駐車場で素振りやボールの壁当てなどをしていたものだ。当時が懐かしい。

 キャッチボールが始まり、次に走力測定。そして内野と外野でフィールディングとスローイングをテストする。ピッチャー希望者はマウンドでピッチング、キャッチャー希望者はキャッチャー道具をつけてキャッチングとブロッキングのテストをした。最後にバッティングで約3時間。一通りの「トライアル」が終了した。

 以前から何人かの選手は野球大会やシーズンの試合でリストアップをしていたが、今回のトライアルで新しい選手を発見することができた。それはオーストラリアから参加している子供や普段ソフトボールチームに所属している子供だ。この「トライアル」のためだけにオーストラリアから参加してくれていたのだ。テストを見ただけではあるが、実力はありそうだ。

代表入りへ、何度も挑戦する姿

清水氏は野球というスポーツやナショナルチームの価値が高まれば、さらに多くの才能を掘り起こせるだろうと話す 【(C)SAMURAI JAPAN】

 翌日、ウェリントンでも同様に実施し、1週間後、3回目の「トライアル」がオークランドのソフトボール球場で行われた。そこには、1回目に満足いくプレーができなかった子供と、1回目に都合がつかなかった子供が参加をしていた。

 その翌日にもクライストチャーチで同様にトライアルを実施した。この結果で30人を選出し、その後の練習を見ながらさらに最終メンバーへと絞り込んでいく。そしてナショナルチームとしてトーナメントに挑むのだ。

 何度も挑戦する子供の姿。ナショナルチームに入れるかもしれないというチャンスをつかみに、国内外の遠方からもやってきてくれること。ニュージーランドにおける野球の歴史は浅いが、野球というスポーツの面白さを知ってもらえる活動と、ナショナルチームの価値を高められれば、もっと多くの才能を掘り起こせるのではないかと思う。

 昨年は最下位に終わったトーナメント。今年は1つでも順位を上げ、喜び、楽しんでほしいと願う。

※ニュージーランドの野球事情と日本の役割を、元ロッテのエース・清水直行氏による手記から考えるシリーズ企画です。
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著者プロフィール

1975年11月24日生まれ 京都府出身。報徳学園高、日本大、東芝府中を経て、99年にドラフト2位で千葉ロッテに入団。2002年から5年連続で規定投球回と2桁勝利を継続し、エースとして活躍。05年は31年ぶりの日本一にも貢献した。04年のアテネ五輪、06年の第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に日本代表として出場。10年から横浜(現・横浜DeNA)。プロ12年間で通算105勝、防御率4.16。現役引退後は、ニュージーランド野球連盟ゼネラルマネジャー補佐、同国の代表統括コーチを務める。

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