JBAの重責を担う背景と狙い “経営のプロ”大河正明の声<前編>

大島和人

「この状態はプレーヤーズファーストなのか」

中学時代に自身もバスケットボール部に所属し、全国大会でベスト4という輝かしい経歴があると語った大河 【スポーツナビ】

――バスケを真剣にされていたのは高校までですか?

 高校までです。大学のときも一瞬続けようかなと思ったけれど、社会勉強をするのも大切かなと思って、続けませんでした。

――選手時代のポジションは?

 今で言うと3番(スモールフォワード)のところかな。僕より大きい人も2人くらいいた。

――その頃に憧れていた選手はいたんですか?

 僕らが(洛星中のバスケ部へ)最初に入った昭和46年は、ミュンヘン五輪の予選をやっていたときで。日本はフィリピンと韓国に勝って(本大会へ)出られたのですが、そのときは日本鉱業に阿部(成章)という176センチの、今で言うとポイントガードのシューターがいて、その人はすごいなと思っていましたね。

――NBAはご覧にならなかったのですか?

 あまり見ていません。95年にJリーグへ来てからは圧倒的にサッカーの試合の方を観ていました。あとは仕事柄、野球を観たり相撲を観たり。ただ、バスケットもテレビでやるときは見ていましたよ。

――この10年くらいのバスケットボール界の状況、混乱をどういう思いでご覧になっていましたか?

 外から見ていた限りでは、まずトップリーグが2つに分かれているということ自体、少なからず違和感はありました。もちろん目指しているところが異なるのかもしれませんが、国内トップと言われるリーグは一つでなくてもよいのかという素朴な発想からです。

 細かいことは分かりませんけれど、ちょっと由々しき事態と言いますか。もともとバスケットをやっていた人間からすると、本当にこの状態はプレーヤーズファーストなのだろうか、という疑問は抱いていました。

「なんだかんだご縁ですべて来ている」

――(現在の三菱東京UFJ)銀行時代は簡単に言うと、どういうキャリアを積まれていたのですか?

 支店長を3回ほど務めました。また本行でリテール戦略、富裕層向けの戦略とか、店舗の戦略とかをやってました。

――95年から2年間Jリーグに出向されたのはどういう経緯だったんですか?

 川淵さんと銀行の頭取がたまたま結婚式で一緒になられて、「お金や管理に銀行から人を出してほしい」ということになって、私が行ったということですね。

 銀行員といっても、全員が決算を読めたり、就業規則や給与体系を決めたりという、管理系のことができるわけではないんです。僕は企画部というところで予算管理だとかをやっていて、そういうスキルがある人ということで、たまたま当たったということですね。

――10年には出向でなく、銀行を退職されて、サッカー界に踏み込みました。これは大きな決心だったと思いますけれど、そのときの思いは?

 銀行を退職したとしても、例えば関連会社の役員になるなど、先の見えるレールが65歳くらいまで敷かれていました。それもありかなと思いつつも、当時Jリーグ常務理事をやっておられた佐々木(一樹)さん(現・ジェイリーグエンタープライズ代表取締役社長)から、クラブライセンス制度が始まったり、公益法人になる、ならないのかを決めかねているところがあって、一緒にやってほしいというお誘いがありました。そのあと当時の鬼武(健二)チェアマンや、中野(幸夫)専務理事と食事や話をした中で、もともとお世話になったご縁もあって……。僕もなんだかんだ、ご縁ですべて来ているのかもしれない(笑)。ちょっとした決断でしたけれど。

――ご家族の反対はなかったですか?

 そういうことは大体自分で決めているので特になかったです。家族からは「サッカーの試合を観に行けていいわね」と(笑)。収入面など、いろんなことはありましたけれど、自分から積極的に引き受けて「行きます」という形でしたね。

「タスクフォースには主体的に参加する」

JBAの理事となった大河は、今後「タスクフォースには主体的に参加する立場になる」と話し、新リーグにもすでに関わっていることを明かした 【スポーツナビ】

――Jリーグの役職を離れるタイミングは?

 5月21日にJリーグの理事会があります(編注:インタビューは5月15日)。今は常務理事をやらせてもらっていますが、そのとき非常勤の理事に変わります。サッカー界の役職として主なものはJリーグと、JFAの非常勤理事が残ります。関連会社絡みも少しあります。

 これからは例えば小宮山(悟)さんとか、有森(裕子)さんなどと同じ、社外理事の立場になります。ただ中にいて事情は分かっていますし、クラブ経営だとか施設の充実だとか、そういったところに関与してほしいというのは村井(満)チェアマンからも言われています。やれる範囲で頑張ります。

――今後はタスクフォースにも出席されるのですか?

 タスクフォースももう後半戦に入っているので、ここからメンバーとして新たに名を連ねるということではないですけれど、会議にはある意味で主体的に参加する立場になると思います。

――協会と別に、新リーグへの関わりはどういう形で進むのですか?

 1部、2部といった(クラブの)振り分け作業に、僕はもう関わっています。8月くらいから正式に入会が認められたクラブが、社団法人の社員になるわけですね。例えば浦和レッズや鹿島アントラーズはJリーグの社員です。そういう(社団法人の)社員チームがいくつか出てきて、ようやくちゃんとした組織ができます。そのときに先ほど言ったようなチェアマンが誰、専務理事が誰ということが決まるんだろうなと思います。

 今(新リーグに)関わっているのは、川淵さんと境田さんと僕の3人しかいません。まずは新しく入会したメンバーの中から、誰を理事にするか決めなければいけませんね。Jリーグと一緒だと思ってください。クラブ代表の理事もいれば、有識者理事もいる。JBAから入ってくる理事もいるでしょう。十数人で(理事会を)組成するのかなと今は思っています。

――組織の定款も大河さんが手がけられるのでしょうか?

 今まさに取り組んでいます。僕もちょうど13日に(JBAの理事に)選ばれたので、これで正式に動けることになります。新リーグの理事としても動いていますし、協会側のさまざまなガバナンスの強化にも取り組みます。まだ組織がそんなに大きくないので、兼ねてやっていた方がやりやすいという面はあると思います。場所が離れているのが大変なんですけれど。(協会は五反田で)リーグが本郷三丁目の6階にあるので。

――事務所にはすでに新リーグのスタッフの方も入られているんですか?

 はい。2、3人ですけれどいて、これから少しずつ人は採用していきます。来年シーズンが始まるときには、今のNBLやbjリーグからも何人か来るでしょう。20人とか25人くらいの組織にはしないと、リーグ運営はできないと思います。

<後編へ続く>

大河正明

日本バスケットボール協会 専務理事兼事務総長
1958年京都府出身。学生時代はバスケットボールに親しみ、京都・洛星中学校時代には全国大会ベスト4進出、また洛星高校時代には近畿大会に出場し、準優勝に輝いた経歴をもつ。京都大学卒業後、三菱銀行(現・三菱東京UFJ銀行)入行。支店長等を歴任後、10年10月に退行。同11月より社団法人(現・公益社団法人)日本プロサッカーリーグに携わり、管理統括本部長兼クラブライセンスマネージャーとしてクラブライセンス制度の確立などに尽力。12年よりJリーグ理事を務め、14年1月より常務理事。その他、公益財団法人日本サッカー協会理事、株式会社ジェイリーグエンタープライズ取締役、Jリーグフォト株式会社取締役、株式会社Jリーグメディアプロモーション監査役を兼務。

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著者プロフィール

1976年に神奈川県で出生し、育ちは埼玉。現在は東京都北区に在住する。早稲田大在学中にテレビ局のリサーチャーとしてスポーツ報道の現場に足を踏み入れ、世界中のスポーツと接する機会を得た。卒業後は損害保険会社、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を開始。取材対象はバスケットボールやサッカー、野球、ラグビー、ハンドボールと幅広い。2021年1月『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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