「7人制で勝負したい」吉田大樹の挑戦 ラグビー界の「いいひと」が新天地へ

向風見也

強豪・東芝を退社して和歌山へ

セブンズ日本代表としてリオ五輪を目指す吉田大樹 【赤坂直人】

 てっぺんだけ長めに残した短髪。南国の小動物の瞳。座右の銘には「感恩報謝」を掲げる。

「恩に報いるために人生を全うする。この言葉が好きで……」

 2015年春。「ヒロキさん」こと吉田大樹が、ラグビー選手としての生活にひと区切りをつけた。それまで11季在籍していた東芝を退社し、住み慣れた東京の府中市を離れるのだ。新たな挑戦と、新たな出会いへ。これからは和歌山で県立高校の教員を志す。

 一方で、オリンピック出場を目指す。

――国内トップレベルでの競技生活を通し、学んだことは。

「チームの和、ですかね」

「陰で練習は、正直、誰でもやっている」

東芝ではBKの複数ポジションをこなしてチームに貢献した 【写真:アフロスポーツ】

 群馬の東京農大二高、関西の名門・同志社大を経て東芝入り。当時の薫田真広監督曰く、繰り広げられたのが「親に見せられない練習」だった。工場脇の芝生の道場で、「ヒロキさん」は覚悟を決めて鍛錬を積んだ。

 台頭したのは入社3年目。日本最高峰トップリーグの2006年度シーズン、来る日も来る日も居残りでキック練習をしていた「ヒロキさん」が出番を得る。

「陰で練習というのは、正直、誰でもやっていると思うんです。そんななか、誰かが怪我をした時のようなチャンスをどうつかむか。大事なのはそこなんですよね」

 司令塔のスタンドオフや仕留め役のウイングとして、先輩のものだったファーストジャージをもぎ取る。結局、シーズンの完全制覇を果たした。

献身的なプレーで指揮官に信頼される

日本代表としても7キャップを獲得している 【写真:アフロスポーツ】

 東芝の文化を「まじめさ、素直さ、練習のきつさですね」と捉えた。クラブのエッセンスを骨の髄まで染み込ませる「ヒロキさん」は、以後もクラブで存在感を示してゆく。

 薫田氏の後を継いだ瀬川智宏監督には、しばしば全体ミーティングの「題材」にされた。「さっきまであっちにいたヒロキが、もうこっちにいるぞ」。ボールを持たぬ折も献身的に動き、声と身体を張った。後続のレギュラーたちの手本になった。

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著者プロフィール

1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年よりスポーツライターとなり、主にラグビーに関するリポートやコラムを「ラグビーマガジン」「スポルティーバ」「スポーツナビ」「ラグビーリパブリック」などに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会も行う。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)。

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