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広島の番記者が松本で感じた“ある力”
アルウィンが生み出す次なる夢
01年5月のこけら落としでは広島対福岡のプレシーズンマッチが開催されたアルウィン。今では松本山雅のホームスタジアムとして親しまれている
01年5月のこけら落としでは広島対福岡のプレシーズンマッチが開催されたアルウィン。今では松本山雅のホームスタジアムとして親しまれている【(C)松本山雅FC】

 週替わりに一つのテーマを複数の筆者が語り合うサイト『J論』。今回はJ1昇格後、初のホーム開幕戦を迎えた松本山雅FCの本拠地”アルウィン”に乗り込んだサンフレッチェ広島の番記者・中野和也の述懐をお届けする。くしくも広島は、14年前にこの競技場で”こけら落とし”を行ったチームである。そして、当時のチームにはまだ選手だった森保一がいた――。

あの日、思ったことが現実に

 2001年5月26日、僕は松本市にいた。


 時は日韓ワールドカップの前年、コンフェデレーションズカップの直前である。もちろん、日本代表への興味は尽きなかったが、僕のファーストチョイスはサンフレッチェ広島だ。この日、広島は松本平広域公園総合球技場のこけら落としに招待され、アビスパ福岡とのプレシーズンマッチに臨んでいたため、同行取材したというわけである。


 学生時代にワンダーフォーゲル部に所属していた僕にとって、松本は初めての街ではなかった。毎年1度は必ず訪れ、この街を起点にして北アルプスや八ヶ岳など、さまざまな山へと出かけていった。


 当時は、バックパッカーが若者の文化・風俗として定着していた時代で、僕らのような山が目的とした者だけでなく、フラリフラリと放浪を続けるような若者も含め、たくさんの10〜20代の男女が松本の街を歩いていた。僕はといえばお金もなく、松本駅のバルコニーのような場所で寝袋を敷き、そこで眠っていただけなのだが。


 そんな青春時代から20年、久しぶりの松本の印象は、実はほとんどなかった。試合に訪れ、すぐに戻らねばならなかった事情もあるのだが、不思議なことにこの時に試合が行われたスタジアムの印象もほとんどない。「なんで広島と福岡が松本で?」という疑問が、最後まで払拭(ふっしょく)できなかったことだけを覚えている。


 この試合、広島はリーグ再開後の戦いをにらみ、高卒ルーキーだった田中マルクス闘莉王や2年目の山形恭平らを起用する一方で、元日本代表の久保竜彦や藤本主税、森保一や下田崇らそうそうたるメンバーもそろえていた。ただ、当時のレポートを読むと、内容は低調。広島・福岡共にミスが多く、「これがJ1だ」と声高に言えるものではなかったことも、記憶から試合のことが消された要因だったのかもしれない。


 ただ、当時からサッカースタジアムでの試合を熱望していた森保一が、目を輝かせてこのスタジアムを絶賛していたのは覚えている。


「松本のようなJクラブのない街でも、こんなに素晴らしいサッカースタジアムがある」


 その事実が、森保の心を動かしていた。

「ここにもし、地元のチームを応援するサポーターがいて、そのサポーターでスタンドが埋まったら、きっとすごい光景になるのだろうな」


 森保一が感じたこの感覚は、約10年の時を経て現実化し、美しいアルプスの山並みとともに、松本の文化となろうとしている。

コンパクト感が一体感を生み出す

決して大きくはないスタジアムに毎試合多くのサポーターが足を運び、「熱戦」を生み出している
決して大きくはないスタジアムに毎試合多くのサポーターが足を運び、「熱戦」を生み出している【(C)松本山雅FC】

 スタジアムは決して大きくはない。いや、J1仕様から考えれば、むしろ小さいと言っていい。歴史的なJ1ホーム開幕を迎えた3月14日の試合にはたくさんの報道陣が押し寄せ、狭い記者控室はすぐに満席となり、記者会見室と同じ部屋が当てられたカメラマン控え室は、人であふれた。球技場にあてられた敷地も決して広いとはいえず、余裕も感じない。


 だが、このコンパクト感が一方で一体感を生み出す。すべては考え方、とらえ方だ。


 01年は5838人が来場したこのスタジアムだったが、広島にも福岡にも、それほど思い入れがない人々が大半。サッカーが好きで好きでたまらない人もいただろうし、招待券をいただいたからという人も、あるいはただ何となくという人たちもいただろう。間違いないのは、広島を(あるいは福岡を)応援しようという人々はごく少数で、5500人くらいの方々が「観戦」に訪れたという現実。試合後、スタンドでは「面白かったね」「やっぱりプロは違うね」という過分な言葉をいくつも聞いたが、それがきっかけで松本山雅がプロを目指し始めたという物語ではあるまい。


 だが、その時に感じたのは、ギュッとコンパクトな空間は観客たちの声を束にして集める効果があるという事実。選手たちがダッシュを繰り返すその姿に、キックのスピードに、ミリ単位の精度に、身体と身体がぶつけあう音に、「おおっ」「すげぇ」「はあへー」という観客たちの素直なリアクションが巻き起こり、それが集まって歓声と化した。その歓声がいくつにも折り重なり、14年前の試合は決して「熱戦」ではなかったのに、「熱い戦い」に見えてきたのである。

中野和也

1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルートで各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年よりサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するリポート・コラムなどを執筆。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。近著に『戦う、勝つ、生きる 4年で3度のJ制覇。サンフレッチェ広島、奇跡の真相』(ソル・メディア)

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