変化した鈴木隆行のプレー意義 現役続行にこだわり千葉へ渡る想いとは

佐藤拓也

“孤高”鈴木隆行の流儀

今年で39歳となる元日本代表ストライカーの鈴木。「引退」が頭をよぎりながらも現役にこだわり千葉への移籍を決めた 【写真:アフロスポーツ】

「引退するかどうか迷っていた部分もありましたけれど、また拾っていただき、プレーすることとなりました」

 今季、ジェフ千葉で新たなスタートを切ることとなった鈴木隆行。今年で39歳となる元日本代表のストライカーは「引退」が頭をよぎりながらも現役にこだわった。約2週間の練習参加でアピールして、契約を勝ち取ってみせたのだ。

 10年前ならば、この決断をすることはなかっただろう。オファーがなければ「現役」にしがみつくことなく、潔く引退を決断し、新たな道に進む。それが“孤高”の生き方を貫いてきた鈴木の流儀だったはずだ。

 実際、2011年に一度は引退を決意している。08年から3年間プレーした米国・MLSのポートランド・ティンバーズからコーチ就任の打診を受けると、現役を退いて指導者へ転身することを決めたのだ。

水戸に加入した理由

11年に水戸へ加入。鈴木の第二のサッカー人生が始まった 【写真は共同】

 しかし、そこで人生の転機が訪れた。11年3月11日、帰国中に東日本大震災が発生。故郷の茨城県に戻ると、大きな被害を受け、町全体が元気をなくしていることに心を痛めた。

「茨城を元気にしたい」。その思いが彼を突き動かした。

 茨城県の県庁所在地で活動している水戸ホーリーホックに自ら「何かできることはないか」と打診を入れたのだ。すでに引退を決意している身。鈴木側の提案はスタッフとしてクラブに入ることだった。

 しかし、水戸の柱谷哲二監督からは「プレーできるのならば、選手として入ってほしい」と要望された。「選手として評価してくれる、その言葉がうれしかった」と鈴木は現役復帰を決意し、再びユニホームに袖を通すこととなった。

 それが鈴木にとって第二のサッカー人生のスタートだった。

「這い上がる」ためにプレーしてきた

02年日韓W杯で日本に歓喜をもたらす歴史的ゴールを決めた鈴木 【写真:ロイター/アフロ】

 水戸に来るまでのサッカー人生は「這い上がる」ための戦いだったと言えるだろう。高校卒業後、鹿島アントラーズに加入するものの、出場機会に恵まれず、ブラジルや他のJリーグクラブに期限付きで移籍する繰り返し。結果を出さなければ明日はない。10代の頃からその危機感と格闘しながら、所属したチームで結果を出し、自らの存在意義を示し続けた。

 00年終盤から鹿島で活躍を見せると、日本代表にも選出されるようになり、02年日韓共催ワールドカップ初戦のベルギー戦(2−2)では日本に歓喜をもたらすゴールを決めてみせた。

 その後、ベルギーへ移籍するなど安住の地を求めることなく、国内外のクラブを転々とした。

 結果こそすべて――それが鈴木の積み上げてきたサッカー哲学でもあった。プロの世界は誰かが助けてくれるわけではない。自分の力で這い上がらなければならないのだ。それを若いころから身を持って体験し続けてきたからこそ、ピッチの中で結果を出すことだけにすべてを注ぎ込んでいた。

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著者プロフィール

1977年7月30日生まれ。横浜市出身。青山学院大学卒業後、一般企業に就職するも、1年で退社。ライターを目指すために日本ジャーナリスト専門学校に入学。卒業後に横浜FCのオフィシャルライターとして活動を始め、2004年秋にサッカー専門新聞『EL GOLAZO』創刊に携わり、フリーライターとなる。現在は『EL GOLAZO』『J’s GOAL』で水戸ホーリーホックの担当ライターとして活動。2012年から有料webサイト『デイリーホーリーホック』のメインライターを務める。

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