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フリーターから箱根駅伝、そして世界へ
控えめな雑草ランナーが躍進する理由

優勝候補を抑えての快走

ニューイヤー駅伝で1区2位と快走した梶原。控えめな26歳が躍進し続ける理由に迫った
ニューイヤー駅伝で1区2位と快走した梶原。控えめな26歳が躍進し続ける理由に迫った【スポーツナビ】

 大物新人・大迫傑(日清食品グループ)の走りが注目された1月1日の全日本実業団対抗駅伝(ニューイヤー駅伝)1区。5キロ14分20秒、10キロ28分43秒で通過する集団の中で冷静に走っていた大迫が、予定通りのラスト800メートルからスパートして逃げ切った。


 しかし、優勝候補のコニカミノルタやトヨタ自動車を抑えて、わずか5秒差の2位でタスキをつないだのは、プレス工業の梶原有高だった。


「過去2回はエース区間の4区に起用しましたが、梶原へタスキが渡った時は20〜30位台だったので、強い選手と一緒に走った時に力を発揮する彼の特性が生きない。違う戦い方をしなければ上位に上がれないというチーム事情もあって今回は1区に使いました」と上岡宏次コーチは言う。


 結果的にプレス工業は目標にしていた20位には惜しくも届かなかったものの、過去最高順位の21位になった。梶原は「11月の東日本(実業団対抗駅伝)は、10日くらい前に故障をして練習不足の状態で臨みました。でも1区で5位になったので、ニューイヤー駅伝はそれ以上に走れると思っていました。さすがに大迫くんには勝てるとは思わなかったけれど、他の選手とは戦えるのではないかと。区間5位以内を目標にしていたので、(区間2位は)想像以上に走れた感じでした」と控えめな表情でほほ笑む。


 1993年から東日本実業団対抗駅伝に出場し、2010年にニューイヤー駅伝初出場を果たしたプレス工業。自動車部品などを製造するメーカーで、選手は工場勤務などの実務につき、毎日午前8時から午後3時までは働いている。梶原は事務職だが、フォークリフトの運転免許も取得しているという。


 そんな環境の中でも梶原は日本選手権5000メートルで13年は7位、14年は4位と連続入賞。全国都道府県対抗男子駅伝にも神奈川代表として出場し、昨年は3区で区間賞を獲得した長野代表の上野裕一郎(DeNA)にわずか8秒遅れの区間4位。チーム順位も5位から2位に上げている。上岡コーチは「チームでは飛び抜けた力を持っているけれど、だからといって天狗(てんぐ)になることはないし、控えめなまま」と言って笑う。

陸上を続ける気はなかった

松蔭大時代は学連選抜の一員として4年連続で箱根駅伝に出場。写真は2010年の予選会のもの(左から3番目が梶原)
松蔭大時代は学連選抜の一員として4年連続で箱根駅伝に出場。写真は2010年の予選会のもの(左から3番目が梶原)【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 物静かな梶原ではあるが、これまでの競技生活は紆余曲折を経ている。神奈川県愛川町出身で中学入学時から陸上を始め、3年には全国都道府県対抗駅伝に出場。駅伝の強豪である静岡・藤枝明誠高で陸上を続け、卒業後は日本体育大に進学する。しかし、2カ月で退部し大学も辞めてしまった。


「高校時代は練習が合わず、高2から自己記録も伸びていなかったので、卒業したら陸上をやめて、普通に大学へ行くか就職をしようと思っていたんです。監督に強く勧められて日本体育大へ行くことになりましたが、雰囲気になじめなかったのですぐ辞めてしまいました」


 もう上のレベルで陸上をやることはないと思ったが、とりあえずは地元の記録会に出てみようと考え、アルバイトをしながらときどき走っていた。それから1カ月ほどすると、実家に近い松蔭大のマネージャーから「来年からうちへ入って陸上をやらないか」と誘われた。


「最初は入るつもりはなくて、就職しようと考えていました。でも当時のマネージャーが熱心だったのと、自宅から近いのでいつでも帰れるからいいかな、と思って松蔭大に入りました。チームのレベルが低かったこともあって1年の時から(チーム内で)一番速かったです」


 練習内容は高校とは違い、ゆっくりしたペースで距離を踏む箱根駅伝向けのものだった。その中でチームとしての箱根駅伝出場はならなかったが、個人では4年連続で関東学連選抜に選ばれて本戦に出場。3年次ではエース区間の2区を走り、区間12位ながら1時間08分50秒にまとめた。さらに4年次の関東インカレ2部では1万メートル5位、ハーフマラソン4位と2種目で入賞するまで力をつけた。


「大学ではとりあえず記録と結果を出そうと思ってやっていただけでした。でも大学4年のはじめごろからは実業団から話が来たので、陸上を続けて上のレベルを目標にしようと思うようになりました。実際に話が来たのは3社でそれなりに強いチームもあったけれど、練習に参加してみてプレス工業がいいなと思ったし、大学の時と同じでこれからのチームでやった方が楽しいなとも感じていたので……。それに高校の時は静岡に行って満足のいく結果が出せなかったのが、地元の神奈川の大学ではしっかり走れたというのもあったので、(神奈川にある)今の会社を選びました」

折山淑美
1953年1月26日長野県生まれ。神奈川大学工学部卒業後、『週刊プレイボーイ』『月刊プレイボーイ』『Number』『Sportiva』ほかで活躍中の「アマチュアスポーツ」専門ライター。著書『誰よりも遠くへ―原田雅彦と男達の熱き闘い―』(集英社)『高橋尚子 金メダルへの絆』(構成/日本文芸社)『船木和喜をK点まで運んだ3つの風』(学習研究社)『眠らないウサギ―井上康生の柔道一直線!』(創美社)『末続慎吾×高野進--栄光への助走 日本人でも世界と戦える! 』(集英社)『泳げ!北島ッ 金メダルまでの軌跡』(太田出版)ほか多数。