若さのイラクを封じた成熟の日本 盤石の守備と攻撃の歯がゆさを感じる試合

宇都宮徹壱

日本との因縁浅からぬイラクについて

本田の2試合連続となるゴールでイラクに勝利。グループリーグ突破に大きく近づいた 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 アジアカップの大会8日目。この日は、メルボルンでパレスチナ対ヨルダンが、そしてここブリスベンではイラク対日本のゲームが行われる。日本もイラクも共に初戦に勝利しており、この試合の勝者はいち早くグループ突破を決める可能性がある。このグループ最大のライバルをヨルダンと見る意見も少なくないが(確かに前回のワールドカップ=W杯の予選ではアウェーで苦杯を喫している)、地力と経験値で上回っているのは明らかにイラクだ。アジアカップに関して言えば、過去5大会でいずれもベスト8以上に進出しており、2007年大会には見事優勝している。これほどコンスタントに好成績を残しているチームは、他に日本、韓国、そしてイランしかない。

 日本とは因縁浅からぬ関係にあるのもまたイラクである。1993年の「ドーハの悲劇」は、もはや国民的な記憶として刻まれている。この試合で、イラク代表のDFとしてフル出場し、さらに三浦知良のゴールで0−1とされていた後半10分に同点ゴールをたたき込んだラディ・シェナイシルは、今大会のイラク代表監督となっている。記憶に新しいところでは、W杯ブラジル大会の最終予選でも両者は対戦しており、埼玉スタジアム2002で行われたゲームでは、元日本代表監督のジーコがイラクを率いていた。

 余談ながら、ハビエル・アギーレ監督にとっても、イラクは思い出深い相手である。現役時代に出場した86年のW杯メキシコ大会において、グループリーグ3戦目の相手がイラクだった。当時、背番号13を付けていた指揮官は「プレー強度のあるチームで、非常に難しい試合だった。何とかゴールして1−0で勝つことができた」と回想している。

 今大会のイラク代表で特徴的なのは、そのプレー強度に加えて「若さ」が挙げられる。日本でもおなじみのユーニス・マフムード(現在は無所属)をはじめ、数人のベテランや中堅はいるものの、登録メンバー23名のうち、実に19名が23歳以下の選手で占められている。イラクと言えば、度重なる戦争(イラン・イラク戦争、湾岸戦争、そしてイラク戦争)に苦しめられながらも、そのつど新たなタレントが生まれてくる「焦土の豊穣」とでも呼びたくなるような不思議な伝統がある。イスラム国をめぐる国内の紛争が続く昨今も、アンダー世代はアジアの国際大会で結果を残している(U−22アジアカップで優勝)。イラクの「若さ」には、どこか侮りがたい怖さが感じられる。

チャンスを作るも前半はPKの1点のみ

オーストラリアで暮らすイラクのサポーター。この日、スタジアムでは多くのイラク国旗を目にした 【宇都宮徹壱】

 この日のアテンダンスは2万2941人。その多くが日本のサポーターと地元のオーストラリア人だったが、スタンドには意外と多くのイラク国旗が掲げられた。過去のアジアカップでは、イラクのサポーターは本当に稀有な存在であったが、さすがに移民国家オーストラリアだけあって、多くのイラク移民がブリスベンまで駆けつけていた。

 さっそく試合を振り返ることにしよう。この日のスタメンは以下のとおり。GK川島永嗣。DFは右から酒井高徳、吉田麻也、森重真人、長友佑都。MFはアンカーに長谷部誠、右に遠藤保仁、左に香川真司。FWはセンターに岡崎慎司、右に本田圭佑、左に乾貴士。初戦のパレスチナ戦とまったく同じ布陣である。なお、この試合で遠藤は前人未到となる日本代表150キャップを達成することとなった。

 試合は序盤から日本の攻勢が目立った。11分、右サイドで酒井からボールを受けた本田が、自分を追い越して相手ディフェンスの裏に走り抜ける香川にスルーパス。香川は素早くシュートを放つも、ボールはゴール左へと外れてしまう。17分には、長友の巧みな切り返しからのアーリークロスに本田が頭で反応。「これで決まりだろう」と思ったら、シュートはポスト右に当たってゴールならず。その後、本田のシュートがさらに2回もバーとポストを直撃するとは、当の本人もおよそ予期していなかったはずだ。

 さらにビッグチャンスは続く。22分、遠藤のスルーパスを受けた乾が相手DFの股間を抜くパスを中央に送り、これを香川が右足で合わせるもイラクGKがセーブする。セカンドボールを追った本田は、ボールをキープしようとしたところで2人のイラクDFに挟まれて倒される。主審はすかさずホイッスルを鳴らし、PKスポットを指さした。PKを獲得した日本は、本田自身がキッカーを務め、長い助走からゴール右隅に落ち着いて決めてみせる。対するイラクもその後、カウンターやセットプレーでチャンスを作るが、日本の守備陣の的確なアプローチとカバーリングに阻まれて沈黙を余儀なくされる。前半は日本の1点リードで終了。点差以上に、力の差が際立った試合内容であった。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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