高校最強チームを築く卒業生の「年輪」 大阪桐蔭・西谷監督に聞く育成法

松倉雄太

卒業生が帰って指導する校風

17年ぶりの全国制覇を果たした08年のエース・福島由登。昨秋、自身と同じく秋季大会でコールド負けを喫した後輩を激励し、全国制覇のきっかけをつくった 【写真は共同】

――今年の日本選手権でも選手が熱心に観戦する姿がありました。

 近畿大会で負けた後に3日間行きました。JR九州対JR東日本など普段は見ることができないチームもあったので、選手も何か感じる部分があったと思います。次の日の練習はガラッと変わりました。

――多くのOBが出場していました。

 シーズンオフによく来てくれる選手もいたので、選手にとっては良かったと思います。特に佐川(仁崇/日本生命)のピッチングはみんなビックリしていました。体も大きくないですし(175センチ・75キロ)、選手からしたら「この人のどこがすごいのかな」という部分があったでしょう。でも試合で見ると、スピードは135キロくらいでも、セットポジションの長さや足の上げ方が1球1球違っていたりして、打者の芯に全然当たりません。

 そういう投球術を目の当たりにして、それまでは「いかにして速い球を投げよう」とか、ただ「低めに投げるか」とかを考えていたけれども、「すごい」「これがピッチング」「ピッチングは対バッター」「バッターのタイミングをどうやって外すか?」といったことを感じるんですね。その日の野球ノートを3〜4ページ書いている投手もいました。それだけ衝撃を感じて、投手としての考え方が変わったんですね。

――OBがたくさんグラウンドを訪れてくれるのも、選手にとっては大きいですよね。

 プロに進んだ選手が(大阪桐蔭に)帰ってきた時は、シンボル的な感じで、「あれが中田翔なんだ」という感じになると思います。社会人の選手が帰ってきて一番良いのは、実際に教えてもらえることですね。例えば一緒にノックを受けてくれたら、1時間あればガラッと変わります。今年は岩下(知永/日本生命)に頼んで3回ほど来てもらいました。二塁を守っていた峯本(匠)は、岩下信者になりましたね。そういった意味で、今はチームの“年輪”がちょっとずつ、できてきた感じがします。

――OBが帰りやすい環境にすることも大事にしていますか?

 毎年、卒業生には「帰ってきてくれ」と言っています。例えば私の出身の報徳学園と大阪桐蔭では歴史が4倍くらい違う。そういった差は、OBが4倍、5倍多く帰ってくれば埋められるかなとも思っています。例えグラウンドに来られなくても、夜の寮に来て、少し話をしてもらうこともあります。

(秋季大阪大会4回戦で履正社にコールド負けを喫した)去年の秋には08年夏に優勝した時のエース・福島由登(現・Honda)が来てくれました。福島の時も秋にコールドで負けて、夏に日本一になったので、「そうなるように仕込んでくれ」とお願いしました。

 福島は「負け惜しみだけど、選抜に出られないということは、夏一本に絞って練習ができる。俺たちの時は(西谷監督に)そう言われて練習した。トレーニングの期間が長くなってしんどいけど、必ず夏に照準を合わせるように監督が仕込むと思う。だからお前たちもそれに負けないように夏一本を見据えて、『センバツに出られなかったから夏に勝てた』と言えるように頑張ってほしい」と話をしてくれました。選手たちも、「よし、頑張ろう」という気になってくれたと思っています。今考えたら、怖いくらい同じ道すじになりました。

(後編は12月15日(月)に掲載予定)

西谷浩一監督プロフィール

1969年9月12日。兵庫県出身。現役時代のポジションは主に捕手。報徳学園高から関西大学に進み、3年春には関西学生野球連盟優勝、全日本選手権優勝を果たし、4年時は控え捕手ながら主将を務めた。卒業後は大阪桐蔭高のコーチを経て98年に監督就任。一時、コーチに戻るが04年から再び指揮を執る。同校社会科教諭。

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著者プロフィール

 1980年12月5日生まれ。小学校時代はリトルリーグでプレーしていたが、中学時代からは野球観戦に没頭。極端な言い方をすれば、野球を観戦するためならば、どこへでも行ってしまう。2004年からスポーツライターとなり、野球雑誌『ホームラン』などに寄稿している。また、2005年からはABCテレビ『速報甲子園への道』のリサーチャーとしても活動中。

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