負けられない決戦へ、冷静に臨むG大阪 リベンジではなくタイトルへ近づくために

高村美砂

8年前、優勝を懸けて最終節で激突

8年前、G大阪は真っ赤に染まる埼玉スタジアムで優勝を懸けて浦和と対戦した 【写真:アフロスポーツ】

 さかのぼること8年前の2006年12月2日。埼玉スタジアム2002で行われたJ1第34節の浦和レッズvs.ガンバ大阪戦。今でも鮮明に覚えているのは、試合前のスタジアム周辺の雰囲気だ。速度を緩め、ゆっくりと埼スタに入って行くガンバ大阪の選手バスに向かって、スタジアムの入り口付近に人垣を作った浦和サポーターがこぞってブーイングを浴びせる。赤いフラッグが大きく揺れる。いつものスタジアム内だけではなく、スタジアムの外まで続いていた浦和サポーターの“熱”は、この一戦が“特別”な試合であることを示していた。

 ガンバ大阪がJリーグ連覇を目指したこのシーズン。序盤から順調に勝ち点を積み上げてきた中で、4度目の『首位』に立ったのは第21節のことだった。以降、第24節までその座を守り続けたものの終盤に入り、やや失速。第25節から第28節まで4試合白星のない戦いを続けたことや、ウイルス性肝炎を患った大黒柱、MF遠藤保仁の戦線離脱が響き、浦和に『首位』を奪われてしまう。

 その後は勝ち点が近づいたり、離れたりしながらも『1位・浦和、2位・G大阪』の順位は変わらずに試合が進んだが、第33節、G大阪が京都パープルサンガ(当時)に勝利し、浦和がFC東京に引き分けたことで両者の勝ち点差は3に。結果、優勝の行方は最終戦に持ち越された。

必要だった「3点差以上での勝利」

マグノ・アウベスのゴールで先制したものの逆転負け。目の前で優勝を決められた 【写真:アフロスポーツ】

 最終節での直接対決に、逆転優勝の望みをつなげたG大阪だったが、優勝を手に入れるためには大きなミッションが課せられていた。それは「3点差以上で勝利すること」。単に勝つのではなく、圧倒的な点差をつけて勝たなければいけないという状況は選手たちに重くのしかかった。それでも、攻撃的なサッカーをチームスタイルとしていたG大阪は、そのプライドに懸け、立ち上がりから攻撃に勢いを示し、21分にマグノ・アウベスが先制点を奪い取る。2点差――。「3点差以上での勝利」が決して不可能ではない数字に詰め寄ったのもつかの間、結果的に「点を取りたい」気持ちの逆手をとられ、守備の盲点を突かれて前半のうちに浦和に試合をひっくり返されてしまう。ここで、浦和のボルテージは一気に高まった。

「あの試合で一番印象的だったのは、僕らが前半終了間際にFWワシントンのゴールで逆転されたシーン。あのゴールによって、スタジアム全体が浦和の優勝を確信したような雰囲気になり、さらにボルテージが高まって『俺らが優勝するぞ』という空気が流れた。3点差以上での勝利を義務づけられた試合で、相手にリードを奪われることの重みは正直、感じました」(MF明神智和)

 後半もその流れは変えきれず、G大阪を率いる西野朗監督は切り札、MF遠藤を投入する。だが、心理的にも優位に立った浦和の勢いは止まらず、59分に再び失点。1−3と大きく引き離されてしまう。それでも最後まで諦めない姿勢を示すかのように、78分にはMF遠藤からのCKに最後はDF山口智(現ジェフ千葉)が頭で合わせて1点を返すも、「3点差以上の勝利」を現実とするにはあまりにも時間が短く。結果、G大阪は2−3で敗れ、浦和に優勝を決められてしまう。歓喜と興奮で地鳴りのような振動がスタジアム全体を覆う中、真っ赤に染まった埼玉スタジアムを後にするG大阪イレブンの背中は小さかった。

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著者プロフィール

関西一円の『サッカー』を応援しようとJリーグ発足にあわせて発刊された、関西サッカー応援誌『GAM』『KAPPOS』の発行・編集に携わった後、同雑誌の休刊に伴い、1998年からフリーライターに。現在はガンバ大阪、ヴィッセル神戸を中心に取材を展開。イヤーブックやマッチデーブログラムなどクラブのオフィシャル媒体を中心に執筆活動を行なう。選手やスタッフなど『人』にスポットをあてた記事がほとんど。『サッカーダイジェスト』での宇佐美貴史のコラム連載は10年に及び、150回を超えた。兵庫県西宮市生まれ、大阪育ち。現在は神戸在住。

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