「侍」に帰ってきた内川聖一が抱く思い 忌まわしい記憶を乗り越え、次回WBCへ

田尻耕太郎

変わらない「侍」への強い気持ち

約1年半ぶりに代表入りを果たした内川。すでに第4回WBCでのリベンジを見据えている 【Getty Images】

 今、内川が何を思い、侍ジャパンに帰ってきたのか。それが今回の侍ジャパンにおいて、最も気になったことだった。率直に質問をぶつけてみた。どのように過去と向き合い、侍ジャパンの一員として戦うのか――。内川は迷うことなく、次のように話し始めた。

「WBCの悔しさを取り返すことができるのは、WBCでしかないんです。若い選手が中心の、3年後(第4回WBC)の基盤を作るための代表に選んでいただいたのは光栄なこと。今からしっかりやれよ、と小久保監督に言ってもらえたのだと感じています」

 しかし、日本代表への熱く、強い気持ちは不変であることを強調する。

「日の丸を背負ってプレーをする意味やプレッシャーは、経験した者にしか分からないと思います。代表ユニホームを着て、試合前に国歌を聞いた時、僕は日本人なんだと強く実感したのを覚えています。日米野球は親善試合の要素が強いと言う方もいますが、国を代表して戦う以上、普通の気持ちではプレーできないです。今回は若くて代表経験の少ない選手も多い。言葉では説明できないですが、自分のプレーする姿を見て感じ取ってくれるものがあればうれしいです」

 10日の壮行試合、内川は「5番DH」で出場するも3打数ノーヒットに倒れた。この日の侍ジャパンは、打線が全体的に低調で散発4安打の完封負けだった。しかし、小久保監督は「打線はその時、その時。今日は打てなかったから負けた」とサバサバ。一方で1失点に抑えた投手陣は「収穫だらけ」と称賛し、「マウンドやボールの違いへの修正能力の高さを感じた」と納得顔を浮かべた。

 12日からはメジャーのオールスター軍団と計6試合(6戦目は親善試合)のガチンコ勝負に臨む。小久保ジャパン、そして内川の熱き思いが表現されるのはこれからだ。

2/2ページ

著者プロフィール

 1978年8月18日生まれ。熊本県出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。2002年卒業と同時に、オフィシャル球団誌『月刊ホークス』の編集記者に。2004年8月独立。その後もホークスを中心に九州・福岡を拠点に活動し、『週刊ベースボール』(ベースボールマガジン社)『週刊現代』(講談社)『スポルティーバ』(集英社)などのメディア媒体に寄稿するほか、福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルメディアともライター契約している。2011年に川崎宗則選手のホークス時代の軌跡をつづった『チェ スト〜Kawasaki Style Best』を出版。また、毎年1月には多くのプロ野球選手、ソフトボールの上野由岐子投手、格闘家、ゴルファーらが参加する自主トレのサポートをライフワークで行っている。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント