福永祐一著「俯瞰する力 自分と向き合い進化し続けた 27年間の記録」

福永祐一が初めて嫉妬心を抱いた同世代・岩田康誠 相次いで失った後ろ盾と感じた限界

福永祐一
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【写真は共同】

誰もが「天才ジョッキー」と評する父・福永洋一が果たせなかった日本ダービー制覇、無敗のクラシック三冠。まさに全盛期のトップジョッキーが突如、調教師に転身――。その大きな原動力になったものとは?
自身の才能を見極め、己と向き合い続けた男の「思考」と「決断」の軌跡。

福永祐一著「俯瞰する力 自分と向き合い進化し続けた 27年間の記録」から、一部抜粋して公開します。

フリーになって突きつけられた自分の限界

 デビュー10 年目にあたる2005年は、20 代最後の年にして年間勝利数が初めて100の大台に乗り(109勝)、重賞も過去最多の16 勝をマーク。

 そのうち5勝がGI(フェブラリーS・メイショウボーラー、桜花賞/NHKマイルカップ・ラインクラフト、オークス・シーザリオ、朝日杯フューチュリティS・フサイチリシャール)であり、シーザリオでアメリカンオークスを勝ったのもこの年だ。

 27 年間に及ぶジョッキー人生の中でも1、2を争う華やかな年で、年間重賞勝利数とGI勝利数に関しては、最後までこの年を上回ることができなかったほどだ。

 仕事は充実していたし、プライベートもさながら我が世の春。これだけの結果を出せば、さすがに先輩たちからのクスクス笑いも聞こえてこない。デビュー当時にあれだけ強烈に感じていたコンプレックスもいつしかぼんやりとしたものとなり、勢いのままにリーディングにも色気を持ち始めていた時期だ。
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