野球の神様はいた――大隣憲司、10月のキセキ=鷹詞〜たかことば〜
日本一の瞬間はバックヤードで
日本一の歓喜の中、胴上げされるサプライズも。大隣はリーグ優勝、CS、日本シリーズと、大事な試合ですべて期待に応えてきた 【写真は共同】
そわそわ、うろうろ。とにかく落ち着かない様子だった。21歳の武田翔太の方が何だかどっしり構えている。そういえば、3年前の日本一も同じシチュエーションだった。「でも、気持ちはまったく違いますね」。当時、先発を担ったのは「4本柱」。和田毅(現カブス)、杉内俊哉(現巨人)の2枚看板に加え、ホールトン、攝津正、そしてもう1枠を勝ち取ったのは育成出身の山田大樹だった。大隣は中継ぎ要員。だが、結局一度も登板機会はなかったのだ。
9回表、最後のアウトは阪神・西岡剛の守備妨害という前代未聞の幕切れ。ベンチ裏は内野ゴロに大きな声が上がったが、一塁手がボールをそらしたことが分かるとサロンは騒然。しかし、すぐに、喜びに沸く仲間の姿がテレビに映し出された。何が何だか分からないまま、他の投手陣と一緒にグラウンドへと飛び出していった。
「野球の神様はいる」
「何か、1年間を凝縮したような1カ月間でした」
10月の大隣は、神懸かっていた。
シーズン144試合目にリーグ優勝を決めた「10・2」の大一番で結果を出した。そしてクライマックスシリーズ(CS)初戦で好投し、中4日で登板したCS最終第6戦でも勝ち投手に。大事な試合のマウンドには必ず大隣がいて、すべての期待に応えてきた。
もうご存じの方も多いと思うが、大隣は昨年、国指定の難病である「黄色靭帯骨化症」を発症。(詳しくは下記関連リンクの記事を参照「難病と闘う大隣が歩む、未開の復活ロード」)過去にプロ野球選手では完全に復帰できた例はなく、7月末の1軍復帰から1軍で3勝を挙げ、かつポストシーズンでの大活躍は、奇跡といっても全く過言ではない。
大隣に聞いてみた。「野球の神様っていると思う?」
「いると思いますよ」。迷う素振りもなく、答えはすぐに返ってきた。
「病気にかかる前から信じていましたよ。努力は報われるとよく言いますよね。何をもって『努力』とするかは分かりませんが、何かに向かって頑張っている人には必ず返ってくると思っています」
世界で一番ホームランを打った王貞治会長はかつて、「報われない努力というのは、それはまだ努力が足りていないということだ」と言った。表現は違うが、大隣は「何かが返ってくるまで続けるのが、努力だと思う」と言う。その根底は同じなのだろうと思った。
ひとりの野球選手として、来季へ
難病からの復帰、そして日本一へ。10月の自信を胸に、大隣は来季も引き続き快投を誓う 【写真は共同】
「来季に向けては、もう病気のことは忘れたいというか、ひとりの野球選手として戦っていきたい気持ちはあります。病気のことを引きずるのは今年まで。7月に1勝目を挙げたときに『復活ではない。復帰です』と言いました。目標は先発として1年間ローテを守ること。それを続けていくことです。この10月は自信になったし、いい経験をしました。これを来季につなげないと意味がない」
2年前、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)出場につながる12勝を挙げたシーズンに「僕は投手陣の柱になる」と力強く宣言していた。遠回りをしたが、その心の熱はまだ保たれたままなのである。
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