遅咲きの新鋭・塩谷司とネイマール 無名だった男が世界を知った後に思うこと

中野和也

大きく運命を変えた柱谷監督

塩谷(右)をプロに誘ったのも、広島への移籍を推薦したのも柱谷監督だった 【写真は共同】

 4年の夏、その年に国士舘大のコーチへ正式に就任したばかりの元日本代表DF柱谷哲二に向かい、男は思いをぶちまけた。

「プロになるためなら、なんでもします。どうすればいいのか、教えてください」

 翌日、闘将は男に告げた。

「俺は、お前の言葉をしっかりと聞いたぞ。覚悟しておけ」

 走る。戦う。身体を張る。そして何よりも、高いモチベーションと意識付け。サッカー選手として必要なベーシックな部分のほとんどは、柱谷がたたき込んだ。もともと体の強さやスピード、たくましさは生まれもった素質としてあった。ボランチでプレーしていたこともあり、足元の技術も確かだ。身体の中に眠る巨大な潜在能力は、塩谷自らも含めて発見できてはいなかった。ただ一人、柱谷哲二を除いては。

 塩谷が大学2年の時、母校(国士舘大)の臨時コーチに就任していた彼は「卒業したらサッカーをやめようと思います」と語る若者に「お前は絶対に上でやれる。だから、もう少しちゃんとやれ」とアドバイスしている。それでもまだ自らの巨大な資質に気付いていなかった塩谷をレギュラーに抜てきし、徹底して鍛えに鍛えた。

 実はもう1人、塩谷の可能性を感じていた男がいた。国士舘大の1年先輩である柏好文(広島)である。

「シオとは大学のころから、仲は良かったんですよ。あいつ、先輩の俺を『カッシー』って呼び捨てにしていて(笑)。身体はあの頃からゴツかったし、俺らの代ではあまり試合に絡めていなかったんだけど、可能性は感じていたんです。(ヴァンフォーレ)甲府に入った後、俺はスカウトの人に言ったんですよ。『国士舘の塩谷って、やれると思いますよ』って」

 しかし、結局は甲府だけでなくJクラブのどこも、塩谷を本気で獲得しようとはしなかった。練習参加の機会すらほとんど得られることなく、11月になってからようやく佐川滋賀(当時JFL、現在は活動停止)入りが決まりかけた程度である。もし、柱谷の水戸ホーリーホック監督就任が決まっていなかったら、そのときに彼が「一緒に来るか?」と誘わなかったら……。塩谷の運命は、大きく変わっていたことだろう。

 一昨年、水戸で大活躍を果たした彼にJ1の3クラブからオファーが届いたとき、「おまえは、広島が合っていると思う」と柱谷監督が推薦しなかったら、彼の代表入りも広島の連覇も、もしかしたらなかったかもしれない。そういう意味で柱谷哲二という男は、一人の男だけでなく、日本サッカーの物語にさえも影響を与えたと言っていいだろう。

静かな、そして断固たる決意

「まだまだ、自分は伸びると思っている」と語る塩谷は、さらなる成長を誓っている 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 時計の針を10月16日の午後に戻し、塩谷の言葉を聞こう。

「今日の練習に行くときも、ブラジル戦のことばかりが思い出される。あの場面では、ああいうプレーができればよかった。この場面では、もっと違う選択肢があったんじゃないかってね」

「特に、ネイマール?」

 その質問に、塩谷はうなずいた。

「もちろん、他の選手もレベルが高かったけれど、メインはそこですね。ただ……」

 その瞬間、塩谷司の目は、輝いた。

「まだまだ、自分は伸びると思っている。向こうも進化すると思うけれど、俺自身がもっともっと進化して、どこまで差を埋められるか。『いい経験になった』なんて、そんな言葉で終わらせたくはない」

 塩谷が100%の力を発揮したとは思えない。平常心の彼であれば、今季、リーグ戦28節までで6点を決めている彼が普通の状態であれば、前半アディショナルタイムの決定的なシュートも間違いなく決めていた。

「確かに、普段とは違う圧力を感じていたのかも」

 そう言って笑う塩谷が平常心でブラジルと相対する経験を積んだとき、もう一度ネイマールと戦わせてみたい。大学3年まではサッカーをあきらめて就職を考えていた当時からの天文学的成長を思えば、塩谷司の進化率はわれわれの想像をはるかに超えているのだから。

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著者プロフィール

1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルートで各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年よりサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するリポート・コラムなどを執筆。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。近著に『戦う、勝つ、生きる 4年で3度のJ制覇。サンフレッチェ広島、奇跡の真相』(ソル・メディア)

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