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遅咲きの新鋭・塩谷司とネイマール
無名だった男が世界を知った後に思うこと
10月の代表戦で2試合連続で先発した広島の塩谷(左)。彼が目の当たりにしたネイマールという「世界」とは
10月の代表戦で2試合連続で先発した広島の塩谷(左)。彼が目の当たりにしたネイマールという「世界」とは【写真:ロイター/アフロ】

 4年後のワールドカップへ船を漕ぎ出したアギーレ・ジャパン。ジャマイカ、ブラジルと対戦する10月シリーズでは、新たなJリーガーの新戦力が際立ち始めている。週替わりに一つのテーマを複数の筆者が語り合うサイト『J論』では、この10月シリーズで2試合連続先発を勝ち取り、一躍名を売ったサンフレッチェ広島の新鋭・塩谷司を、クラブを追い続ける番記者・中野和也が語る。


 新鋭と言っても25歳の遅咲き選手はいかにして、この場所まで辿り着いたのか。そして彼が目の当たりにしたネイマールという「世界」とは……?

塩谷「世界との差が身に染みた」

ジャマイカ戦とは異なり、ブラジル戦では「世界との差が身に染みた」と話す塩谷
ジャマイカ戦とは異なり、ブラジル戦では「世界との差が身に染みた」と話す塩谷【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

「ネイマールの夜」に世界が酔いしれてから2日、スーパースターと何度も対峙した塩谷司は広島に戻っていた。世界中のサッカーファンなら誰もが知っているクラッキ(名手)のすごみを目の当たりにした男に「代表のことを聞きたいんだけど」と聞くと、「あんまり話したくないんですよね、代表のことは。心が切なくなるんで」と言う。


 それでも、質問を続けた。


「じゃあ、ネイマールのことだけ」

「いや、しゃべりたくはないです」


 そう言って塩谷は笑い、そして続けた。


「世界との差が身に染みました。レベルが違う。JリーグやACL(AFCチャンピオンズリーグ)では体験できない水準ですよ。ジャマイカはどちらかというと(日本よりも)格下という感じでしたけれど、世界のトップは違いますよ。ブラジルはベストメンバーではなかったけれど、それでもあのクオリティー。まるで砂場に草が生えているだけのピッチではあるけれど、それでもあのレベル。(ブラジルにやられて)僕の心は今、修復中ですよ。一度、粉々に砕け散ったので……」


 苦笑を浮かべながら紡ぎ出したその言葉をテキストとして並べてしまえば、王国に圧倒された男の愚痴にも読める。だが、「話したくない」という彼の言葉とは裏腹に、胸に秘めた思いが次々とあふれだした。生まれて初めて「別世界」を体験した少年のように、瞳の輝きが収まらなかった。


 塩谷には年代別代表の経験がない。少年時代にはトレセンに呼ばれたこともほとんどなく、徳島商高時代に高校選手権には出場しているものの、特別目立った存在ではなかった。「高校を卒業したら、地元で就職しよう。ネクタイをしめてサラリーマンになるんだ」と彼が考えたのも、当然の状況だ。決して裕福ではない家庭の事情もあり、2人の弟の存在を考えれば、大学進学など考えられなかった。もし、選手権での彼のプレーを認めた国士舘大から特待生としての誘いがなければ、今の塩谷は存在していない。

父の他界、救われた恩師の言葉

 だが、大学3年の夏になると、青雲の志をどこかに置き忘れ、試合に出るチャンスを貪欲に追い求める気持ちも薄らいでいた。


「次のオフは、どこに遊びに行く?」


 そんなことばかりを友だちと言い合い、渋谷に通った。


「どうせ俺はダメなんだ。サッカーなんて、何も楽しくない。大学なんて進学しなければよかった」


 ネガティブな思いが胸のうちを支配していたそのとき、徳島の母から一本の電話が掛かってきた。


「お父さんが、倒れた」


 慌てて、帰郷。しかし、くも膜下出血に冒された父は、そのまま帰らぬ人となった。


「サッカーなんて、やっている場合じゃない。どうせ試合にも、あまり出ていないんだし」


 葬儀が終わり現実に戻ったとき、彼は決意していた。徳島に戻って仕事につき、家族を支えることを。国立大学に入ったばかりの弟もいる。末弟はまだ中学生だ。何よりも生涯の伴侶を失った母を支えてやりたかった。


 だが、当時国士舘大の指揮をとっていた細田三二監督は、「大学を中退したい」と電話で連絡してきた塩谷にこんなメッセージを送った。


「授業料も寮費のことも、大学として相談に乗ってやる。せっかく3年まで頑張ったんだ。卒業はしておきなさい」


 信じがたい話だった。絶対的なレギュラーでもなく、むしろ腐りかけたことが何度もあった。そういう選手に対して厚くサポートしてくれるという。心が動いた。


 母に相談した。


「大学の監督が(卒業まで)続けたらどうだって言ってくれるんだ」

「うん……。あと1年半、何とかするから」


 後に母は「あのときのあんたの顔は、まだサッカーをやりたそうだったからね」と彼に語っている。もちろん、長男が帰ってきてくれれば、どれほど心強いか。それでも母は、息子の気持ちを尊重したいと願った。


 だからこそ、彼は決意する。


「俺は、プロになる。稼いで、家族を楽にしてやるんだ」

中野和也

1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルートで各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年よりサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するリポート・コラムなどを執筆。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。近著に『戦う、勝つ、生きる 4年で3度のJ制覇。サンフレッチェ広島、奇跡の真相』(ソル・メディア)

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