死の淵から蘇ったU−19日本代表 本領発揮でU−20W杯出場権獲得に王手

平野貴也

U−19世代特有の難しさ

大胆な賭けに出た鈴木監督の采配が、チームに勝利をもたらし、日本は決勝トーナメントに進出した 【Getty Images】

 死の淵から蘇った。10月9日にミャンマーで開幕した「AFC U−19選手権」で、U−19日本代表は、最短の2戦でグループリーグの自力突破がなくなる可能性に瀕したが、第3戦で総力戦の末に韓国を2−1で撃破。「死の組」と呼ばれたグループCを首位で通過し、目標であるU−20ワールドカップ(2015年、ニュージーランド開催)の出場権獲得に王手をかけた。ジェットコースターのような目まぐるしい日々となったグループリーグは、一体何だったのか。チームに何が起きていたのか。

 元々、不調の要因はU−19世代特有の難しさにあった。昨年まではユースや高校の主力だった多くの選手がプロや大学の「1年生選手」になったことで出場機会が減少、チームを引っ張るようなプレーができなくなり、勢いを失った。そのため、固定されていたメンバーが最終的には一部変更され、短期間での再調整を余儀なくされていた。

 初戦を勝って勢いに乗るのが理想のプランだったが、大会開幕を迎えたチームの状態は、さらに悪化していた。メンバーの融合が十分でない上に、従来の主力組がプレッシャーを受けて軒並み不調に陥ったからだ。

最悪の大会スタート

 日本は4チームの総当たりで行われるグループリーグで前回王者の韓国と同じ組に入った。中国、ベトナムも楽な相手ではないが、力関係を考えると「正直に言えば、(最終戦で)韓国と当たる前に突破を決めておきたかった」(MF川辺駿/サンフレッチェ広島)のが本音だ。

 しかし、日本は初戦でいきなり中国に敗れた。開始25秒でPKを与えて失点という考え得る最悪のスタート。FW南野拓実(セレッソ大阪)が目の覚めるようなドリブルシュートを決めて同点に追いついたが、その後の決定機をことごとく外してリズムを失い、終盤に直接FKをたたき込まれた。

 PKを献上した川辺、シュートを外し続けた左MF金子翔太(清水エスパルス)らは、いずれも本調子に程遠かった。金子は「個人的に何本か決めるチャンスを決められなかったのが一番悔しい。チーム全体でも攻撃のテンポが良くなかったし、組織的にボール保持をできているという実感はなかった」と肩を落とした。だが、この試合で見られたわずかな光が、次の試合の救いとなった。途中出場を果たしたMF井手口陽介(ガンバ大阪)、奥川雅也(京都U−18)はともにまだ高校生で年下のU−18世代だが、井手口は中盤で攻守に積極性を見せ、奥川は得意のドリブルでチャンスを作っていた。

さらに苦しんだベトナム戦

 第1戦を落としたことで得失点差を有利にしておこうという心理が働いた日本は、ベトナム戦でさらに苦しんだ。ミスの多い選手たちが慎重になり、最初のシュートを打つまでに26分もかかるなど攻撃は完全に行き詰まった。途中出場の奥川のゴールで先制したが、追加点を狙うのか守り切るのかもハッキリせず、90分に同点弾を許した。

 引き分けていれば、韓国が2勝して最終戦で中国が勝点を挙げた場合には、日本が最終戦を勝っても突破できないという状況になるところだった。しかし、長いアディショナルタイムに救われ、DF中谷進之介(柏レイソル)がCKからヘディング弾を決めて勝ち越し。さらにこの試合で先発した井手口がダメ押しゴールを決めて3−1と競り勝った。

 井手口は「滑り込みでメンバーに入ったので元のチームの状態は分からない。でも、表向きにはみんな元気だけれど、プレッシャーがあるんだと思う」とチームの停滞感を語り、奥川も「試合がこう着状態だった。もうちょっと1対1を仕掛ければいいのにと思ったけれど、暑さや疲れもあったから……」と、先発組にしか分からない重圧に理解を示しながらも、チームメートの思い切りのなさを感じていた。

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著者プロフィール

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。主に育成年代のサッカーを取材。2009年からJリーグの大宮アルディージャでオフィシャルライターを務めている。

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