野津田岳人、恐怖を生み出す特別な左足 彷彿とさせる“久保竜彦以来”の爆発力

中野和也

アジア大会に出場している野津田(青)。恐怖を生み出す特別な左足でチームを優勝に導けるか 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 手倉森誠監督率いるU−21日本代表は連覇を目指してアジア競技大会へ参戦中。今回、U−23+オーバーエイジという大会レギュレーションの中であえて年下のチームで臨む理由は2年後のリオデジャネイロ五輪に向けてチームを作り、そして個人を鍛えるためだ。そこで『J論』ではそんなU−21代表から注目の個性をピックアップ。まずは攻撃の中心として期待される野津田岳人をサンフレッチェ広島の番記者・中野和也が情熱的に語り切る。

とにかくシュートを狙う“広島のレフティー”

ツボにはまったときの破壊力は、全盛期の久保を彷彿とさせる 【写真:アフロスポーツ】

 広島には、レフティーを育てる土壌があるのだろうか。過去の歴史を見つめても、素晴らしい左利きのアタッカーを次々と輩出している。久保竜彦、服部公太、森崎浩司、柏木陽介……。李忠成も、大輪の花を咲かせたのは広島での2年半の出来事だ。

 だが、こと左足の爆発力だけでいえば、野津田岳人は広島史上最高のポテンシャルを持つ選手かもしれない。昨年の対柏レイソル戦、約30メートルの位置からネットにたたき込んだミドルシュート。今年の徳島ヴォルティス戦では、右サイド35メートルの位置からネットを揺らした。ツボにはまった時の破壊力は全盛期の久保竜彦を彷彿(ほうふつ)とさせるものだ。

 技術は高いが、いわゆる「気の利く」選手ではない。広島独特のコンビネーションを駆使して3人目で裏をとったり、スルーパスで相手の守備ラインを引き裂くタイプでも、左足でボールを持ち続け、足の裏でボールを転がしながら、DFを翻弄(ほんろう)するような選手でもない。そういう意味では、柏木とはタイプが違う。近いのは森崎浩司だが、コンビネーションサッカーの権化であり、より完璧な崩しを求める広島ユースの先輩と、野津田のスタイルは異なって見える。

 とにかく、シュートなのだ。

 相手を絶望の淵に追いやり、GKを茫然(ぼうぜん)自失にさせる。「あれを決めてくるのか」という恐怖とあきらめを与えてしまう怪物。それが、野津田の左足である。

どんな名手も捕れぬその軌道

ナビスコ杯の浦和戦では価値あるアウェーゴールを記録。さいたまスタジアムに詰め掛けた相手サポーターを沈黙させた 【写真:アフロスポーツ】

 広島ユース時代から、彼の左足シュートは強烈無比だった。思い起こすのは、3年次の高円宮杯チャンピオンシップ(2012年12月16日、さいたまスタジアム2002)である。

 東京ヴェルディユースに2−1と1点差に迫られた後の57分のことだった。中盤で相手からボールを奪った野津田は、ドリブルでボールを少し運んだ後、約30メートルの距離から猛烈に左足を振り切る。ボールは一度、ニアサイドに向かった、GKポープ・ウィリアムもその軌道に合わせて左へ体重を移す。だが、生命が宿ったようなそのボールは強烈な角度で逆方向に曲がり、ワンバウンドでネットイン。同世代トップクラスのGKであり、今回のアジア大会日本代表にも招集されたウィリアムが呆然と中空を見つめていたシーンがやけに印象的だった。

 9月7日に行われたJリーグヤマザキナビスコカップ対浦和レッズ戦でも、やはり埼玉スタジアムで彼はスタンドの真っ赤なサポーターを沈黙させるゴールを記録する。宮原和也のクサビから2本続いたダイレクトパスによってお膳立てを得た野津田は、寸分の迷いなく左足を振った。

 浦和とのナビスコ第1戦ではチャンスにシュートではなくパスを選択し、森保一監督に「中途半端な選手で終わるつもりか!!」と強烈な一喝を受けていた若者は、この場面ではゴールを自分で決めることしか考えていなかった。振り切った左足が顔のあたりまで上がる豪快なフォーム。「あそこまで勢いをつけなくても」とはよく感じるし、実際彼にも「もう少し、力を抜いた方がいいのでは」と聞いたこともあるのだが、あの思い切りこそシュートに生命を宿す秘密なのだろう。撃った瞬間はバーを越えるかと思ったボールは強烈な角度でストンと落ち、GK加藤順大をあざ笑うかのようにゴールを揺らした。

 芝の上に倒れた加藤が「あれが入るのか」と、にわかに信じがたい表情を浮かべていたのも、気持ちは分かる。最近の若い読者にはピンとこないかもしれないが、「ドカベン」に出てくる、いわき東高・緒方投手のフォークボールのような、ストーンという擬音が似合う軌道が猛スピードを伴っている。どんなGKでも捕れない。

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著者プロフィール

1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルートで各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年よりサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するリポート・コラムなどを執筆。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。近著に『戦う、勝つ、生きる 4年で3度のJ制覇。サンフレッチェ広島、奇跡の真相』(ソル・メディア)

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