偉大なホースマン・川島師が残した功績=地方競馬再生へフサイチ軍団も動かした
川島厩舎にフサイチ軍団の馬を預けてみたい
05年、JRAから転厩してきたフサイチイチローも川島厩舎で1勝を挙げた(左・川島調教師、右・筆者) 【提供:橋本全弘】
川島調教師は国内はもとより海外のセリ名簿を取り寄せては徹底的に血統を勉強した。その結果、5代血統内に4×5&5×5の二つのクロス(近親配合)があり、しかも馬体ががっしりしている馬が走るというのが彼の持論で、落札した馬はまさにその配合にぴったり当てはまるものだったからである。
その馬については丁重に断ったが、私はこの調教師に関口氏の馬を管理してもらうのも、いいのではないかと思った。
私は「川島調教師というのはなかなか気骨がある方で公営のNo.1トレーナーであり続ける理由も分かりました。預託してみるもいいかと思います」と提案をした。
しかし、関口氏の返事はノーだった。
1996年に日本ダービーを、2000年にケンタッキーダービーを勝った世界でただ一人の日米ダービーオーナー。常に上を、上を……と上昇志向の高い彼は「なんでわしが今頃、地方競馬に馬を預けるんや」と立ち消えになった。
「川島っていうのは、なかなか、やるもんだなあ……」
そのまま引退するより“再生工場”とも言われる川島厩舎で新たな道が開ける馬がいるはずだ。公営のトップ厩舎の川島厩舎とのつながりを持つ事も決してフサイチ軍団にとっても悪い話ではない。
何度も提案するうちに関口氏から「ならば中央で頭打ちになった馬をやってもらって本当に再生するかどうかを見てみようじゃないか」という返事をもらった。
そして、選ばれたのはサンデーサイレンス産駒で1億8000万円した馬。1000万クラスで頭打ちとなり残された道は引退しかない。船橋競馬に移り、クラスはB2。決して甘くはないが、川島調教師はきっちりと仕上げて復帰戦でいきなり優勝。2ケタ着順が続いていたこの馬をいきなり勝たせたのである。
関口氏に勝利の報告をすると、一瞬、驚いたような表情をみせたが「川島っていうのは、なかなか、やるもんだなあ……」とつぶやくように話したのを覚えている。
お金も労力も惜しまない、その姿勢
川島正行調教師が残したものは成績や栄誉、栄光ばかりではなく、地方競馬再生のためには、お金も労力も惜しまず頑張り続けた、その姿勢である。
そんな偉大なるホースマン・川島先生の生き様を10年間にわたって見続けてきた私にとっても貴重な財産である。
川島先生、安らかにお眠り下さい。