引退後から始めた意外な趣味 元バレー代表・山本隆弘の自転車ライフ(1)

田中夕子

【スポーツナビDo】

【Getty Images】

 バレーボール日本代表選手として活躍、2008年には北京五輪にも出場した山本隆弘さん。サウスポーから繰り出す強烈なサーブ、スパイクを武器に世界を相手に日本のエースとして発揮してきた抜群の存在感は今も記憶に新しい。

 13年5月、黒鷲旗全日本選抜バレーボール大会を最後に現役引退。現在はバレーボール教室などの普及活動や、テレビでの解説業など活躍の幅を広げているが、引退後から始めたという意外な趣味が自転車だ。

 現役時代は「考えもしなかった」という自転車ライフを満喫している山本さん、201センチのサイクリスト生活が始まったきっかけ、楽しみを語ってもらった。

イメージが悪かった自転車

【提供:山本隆弘】

――自転車を始めたきっかけから教えて下さい

 最初は自分から積極的に、というわけじゃなかったんです。(元女子バレー日本代表の)益子(直美)さんから「隆弘くんもやってみたら?」と勧められたのがスタートです。

 でも僕、デカいじゃないですか(笑)。だから自分に合う自転車なんてないと思っていたし、そもそもママチャリに乗っても足が横にはみ出ちゃうから、走っていてもいつもヨロヨロして、ものすごく嫌だったし、怖かった(笑)。だから、どちらかと言えば消極的に「自分に合う自転車があるならやります」と答えました。

 益子さんのご主人が自転車選手で専門家なので、「それなら作ろう」という話になり、いろいろなメーカーに話をして下さって、自分に合う自転車をつくってもらうことから始めました。

――バレーボールの現役時代は自転車とは無縁の生活?

 何しろイメージが悪かったですからね。何でママチャリはこんなにちっちゃいんだ、って(笑)。現役時代は、家から体育館まで行くにしても「これからきつい練習をするのに、何で行き帰りも自転車で苦しまなきゃいけないんだ」と思っていたので、移動は常に車でした。

 当たり前だけれど、車は楽じゃないですか。寒ければ暖房をつければいいし、暑ければ冷房をつければいい。雨に濡れることもない。自転車に乗ることがあるとしたら、トレーニング時のエアロバイクぐらいでした。

――むしろ印象は良くなかったのに、ハマるきっかけは何だったのでしょう?

 自分に合う自転車がある、ということを知ってからですね。もちろん市販のものではなく特注ですが、基本的に「自分に合う自転車はない」と思い込んでいたので、自分も気持ち良く乗ることができる自転車が存在するということに、まずグッときました。

 益子さんのご主人がやっているお店に自転車を取りに行ったら、レジが置いてある接客をするカウンターよりも、はるかに高い場所にサドルが見えるんです。その高さや大きさに驚いたし、自転車に乗る時は両足が同時に地面につくことはないので、「あの自転車はさすがに俺でも無理じゃないか」と思ったのをよく覚えています。

1/2ページ

著者プロフィール

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、『月刊トレーニングジャーナル』編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。共著に『海と、がれきと、ボールと、絆』(講談社)。『SAORI』(日本文化出版)、『夢を泳ぐ』(徳間書店)、『絆があれば何度でもやり直せる』(カンゼン)など、女子アスリートの著書や、前橋育英高校野球部・荒井直樹監督の『当たり前の積み重ねが本物になる』では構成を担当

編集部ピックアップ

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント