ブラジル大会が示した『W杯』の価値 W杯2014ブラジル大会総括

大住良之

多様化する「代表チーム」の戦い方

知将ルイス・ファン・ハール(右)が率いたオランダは、「3バック」システムに見事成功し3位に輝いた。W杯での「代表チーム」の戦い方にも多様化がみられた 【写真:ロイター/アフロ】

 W杯は世界チャンピオンを決める大会である。しかしあくまでも「代表チームの世界チャンピオン」であり、今日のようにヨーロッパを中心にクラブのサッカーに大金が投下され、いくつものクラブが「世界選抜」のようなチームをもつことが可能になったなかで、毎日いっしょにトレーニングし、年に50〜60もの試合をこなすクラブのサッカーと比較すると「チームの完成度」が低いのは否定しがたい事実だ。

 いきおい、多くのチームが「個」に頼ることになる。アルゼンチンのリオネル・メッシ、オランダのアリエン・ロッベン、ブラジルのネイマール……。その他のチームも、前線に置かれた少数のエースたちが切り開くことを攻撃の軸としてきた。ネイマールを失ったブラジルがバランスも失い、悲惨な結末を迎えたのは、ネイマールに頼りすぎた結果でもあった。

 そしてそれに対抗する守備の焦点は、相手のエースにスペースを与えないようにすることに絞られた。そのひとつの解決策が「3バック」あるいは「5バック」だった。オランダやコスタリカがこれで成功して目立ったものの、全体として基本的に3バックで戦ったのは他にメキシコがあるだけ。ボスニア・ヘルツェゴビナはアルゼンチン戦では3バックだったが、他の2試合は4バックでプレーした。

 3バックにしなかったチームのエース対策のひとつは「アンカー」だった。MFの中央、DFラインのすぐ前に守備の強い選手を置く形だ。ドイツのバスティアン・シュバインシュタイガー、アルゼンチンのハビエル・マスチェラーノがこの役割で際立った活躍を見せた。アルゼンチンを決勝戦まで導いたのは、メッシのゴール以上にマスチェラーノの守備だったと、私は見ている。

心揺さぶる1カ月間

優勝したドイツは唯一といっていいほど完成度の高いチームだった。チームプレーで得点を積み重ね、優勝を飾った 【写真:Action Images/アフロ】

 そうしたなかで、ドイツは唯一といっていいほど完成度の高いチームだった。守備の良さは4年前の南アフリカ大会で実証されていたが、今回はその守備を犠牲にせずに攻撃面で長足の進化を遂げ、個の力ではなく、チームプレーで得点を積み重ね、優勝を飾った。その背景には、スペイン人のジュゼップ・グアルディオラ(前バルセロナ監督)を監督に迎え、新しい黄金時代を築いているバイエルン・ミュンヘンの存在がある。グアルディオラの指導によりバイエルンのサッカーは「スピードとポゼッション」を兼ね備える形となり、それがそのままドイツ代表に反映されている。

 5得点したFWミュラーと今大会で急速に評価を高めたMFトニ・クロースはともに24歳で2回目のW杯出場。「このチームはさらに伸びる余地がある。今回の優勝はドイツ代表の輝かしい未来の第一歩だ」というヨアヒム・レーブ監督(彼も54歳と若い)の自信には裏付けがある。

 大会の最優秀選手にはアルゼンチンのメッシが選ばれた。彼の才能が飛び抜けており、その才能を遺憾なく示した4ゴールを決めたのは確かだが、「大会で最も活躍した選手」という考えであれば、ドイツのトーマス・ミュラー、あるいはGKマヌエル・ノイアーを選んでもよかったのではないか。

 ノイアーは最優秀GK。今大会は、アルゼンチンのセルヒオ・ロメロ、コスタリカのケイラー・ナバスなど、優秀なGKが多かった。W杯で上位に進出するには優秀なGKが不可欠で、日本にとってはGKの育成も大きな課題として残った。

 得点王は今大会の3位決定戦の日に23歳になったハメス・ロドリゲス(コロンビア)。フランスの攻撃の推進役となったMFポール・ポグバらとともに、若い選手の活躍も光った。

 64試合で生まれたゴールは171得点。98年フランス大会と並ぶ最多記録で、1試合平均得点は2.67だった。

 イエローカード、レッドカードは181枚と10枚。前大会(245枚と17枚)より大幅に減った。ただPKやFKを得ようというシミュレーションは逆に増え、巧妙化したように思う。テレビの超スロー映像ですべてが明らかになる時代、レフェリーはだませても世界をだますことはできない。選手たちはいつまでこんなばかげたことを続けるのだろうか。

 64試合の総観客数は342万9873人、1試合平均5万3592人。94年アメリカ大会(358万7538人=52試合で1試合平均6万8991人)に次ぐ数字だった。

 サッカーの面では、全般的には「雑」な面も多かった。しかし大半の試合には「祖国のファンのために戦う」という情熱が満ちあふれており、心を揺さぶられる試合が多かった。それこそ、現代のサッカーのなかでW杯でしか見られない大きな価値なのだろう。

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著者プロフィール

サッカージャーナリスト。1951年7月17日神奈川県生まれ。一橋大学在学中にベースボール・マガジン社「サッカーマガジン」の編集に携わり、1974年に同社入社。1978年〜1982年まで編集長を務め、同年(株)ベースボール・マガジン社を退社。(株)アンサーを経て1988年にフリーランスとなる。1974年からFIFAワールドカップを取材。1998年にアジアサッカー連盟「フットボール・ライター・オブ・ザ・イヤー」を受賞。 執筆活動と並行して財団法人日本サッカー協会 施設委員、広報委員、女子委員、審判委員、Jリーグ 技術委員などへの有識者としての参加、またアドバイザー、スーパーバイザーなどを務め、日本サッカーに貢献。また、女子サッカーチーム「FC PAF」の監督として、サッカーの普及・育成もつとめる。 『サッカーへの招待』(岩波新書)、『ワールドカップの世界地図』(PHP新書)など著書多数。 Jリーグ開幕年の1993年から東京新聞にてコラム『サッカーの話をしよう』がスタートし、現在も連載が継続。

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