ネイマール「夢は終わったわけじゃない」 神様がブラジルに授けた喜びと困難

大野美夏

「もし神様が望むのなら」

スニガ(右)の膝蹴りを受け、腰椎の一部を骨折。ネイマール(左)のW杯が終わってしまった 【写真:Action Images/アフロ】

 ここブラジルは世界最大のキリスト教国ということをご存知だろうか?

 ブラジルの歴史は植民地時代からカトリック教とともに刻まれてきている。カトリックは1889年まで国教であり、その後も国民の9割が信者であり続けた。

 現在はプロテスタントが台頭してきているが、キリスト教というくくりで言えばカトリック、プロテスタントと合せて国民の9割である約1億8000万人はキリスト教徒であり、国の祝日の半分以上はキリスト教の祝日だ。街の作りはすべて同じ。人々はまず教会を作り、その前に広場を作り、周辺に街が発展していった。ことわざ、慣用句、あいさつの中にキリスト教がちりばめられている。神様=デウス、キリスト様=ジェズス、マリア様=マリアという言葉は、感嘆句になってる。多くの聖人がいて、人々は自分の守護聖人を持つ。

 サッカー選手達ももちろんほとんどがカトリックかプロテスタントどちらかの信者だ。ピッチに入る前に、選手が芝生を触って手にキスをし、天を仰ぎ、十字を切るしぐさをしているのを見たことがあるのではなかろうか。神様、キリスト様に祈りを捧げているのだ。試合前にはロッカールームで監督、選手、スタッフが集まってキリスト教の祈祷を唱える。選手の家族は試合の前に家で同じように祈祷を捧げる。ブラジルではとても当たり前の光景だ。カカのようにゴールをした後,天に感謝する選手もいる。

 そういえば、田中マルクス闘莉王のおばあさまも言っていた。「試合の時にはろうそくをつけて無事を祈るのよ」と。人々は、言葉の端々に「シ・デウス・キゼール」と入れる。この意味は「もし神様が望むのなら」だ。良いことも、悪いことも、自分が望もうが望まなかろうが、神様が望むことを受け入れなければならない。
 
 そう、ネイマールの骨折という惨事も、神様がお望みになったことなのだから、われわれは受け入れなければならないのだ。たとえそれがワールドカップ(W杯)の準決勝の前であろうとも。

欠場を知り、チームに衝撃が走る

 4日、ネイマールのW杯が突然終わってしまった。コロンビア戦の後半にコロンビアのフアン・スニガから背中に膝蹴りを受け、腰椎の一部(上から3番目)を骨折。倒れた瞬間に誰もが異常事態だと分かるほど、ネイマールは苦しんでいた。すぐに救急車で病院に運ばれたことで事態の大きさを予想しながらも、選手達は「ネイマールはW杯にはもう出られない」という事実を知った時、誰もが衝撃を隠しきれなかった。

 フレッジがそのニュースをミックスゾーンでメディアから聞いた時、まず発した言葉が「本当なのかい?」だった。「W杯に出るためにやってきたネイマールの努力を皆が知っているから、本当に悲しいことだ。神様はきっと早い回復をしてくださるはずだ。ピッチにいなくても心は一緒だ。残された僕たちは悲しみをきっと喜びに変えてみせる」とエールを送った。

中心選手としてセレソンをけん引

ネイマールはここまで4ゴールを挙げ、得点ランキング2位タイにつけていた 【写真:ロイター/アフロ】

 今大会、ネイマールは自国開催のプレッシャーを背負いながら、その責任を必死にこなしてきた。ルイス・フェリペ・スコラーリ監督も「ネイマールは特別な選手」と言ってはばからなかったように、セレソン(ブラジル代表の愛称)にとってなくてはならない選手だった。2013年1月からスコラーリ監督が指揮した27試合、計2500分のうち、ネイマールがいなかった時間はわずか148分。ネイマールあってのブラジルということが記録からも分かる。

 開幕ゲームのクロアチア戦で、マルセロのオウンゴールを取り戻すべく同点ゴールを決めた瞬間、ネイマールは本当にすべての責任を引き受けるだけの器量のある選手であることを世界に証明してみせた。

 メキシコ戦ではGKギジェルモ・オチョアの好セーブに阻まれ無得点に終わったが、カメルーン戦では2点決めMOM(マンオブザマッチ)に選ばれる活躍を見せた。PK戦までもつれ込む死闘になったチリ戦では、ゴールを決めることはできず。それでも、緊張の頂点とも言えるPK戦の5番手をきっちり決め責任を果たした。ここまで決めたゴールは4点。今大会の得点ランキング2位タイで、得点王を狙える位置につけていた。

 4年前のW杯南アフリカ大会に出られなかった想いを胸に、心も体も全てこのW杯に捧げ精進してきた。それなのに、神様は突然ネイマールをW杯から外すことにしてしまったのだ。

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著者プロフィール

ブラジル・サンパウロ在住。サッカー専門誌やスポーツ総合誌などで執筆、翻訳に携わり、スポーツ新聞の通信員も務める。ブラジルのサッカー情報を日本に届けるべく、精力的に取材活動を行っている。特に最近は選手育成に注目している。忘れられない思い出は、2002年W杯でのブラジル優勝の瞬間と1999年リベルタドーレス杯決勝戦、ゴール横でパルメイラスの優勝の瞬間に立ち会ったこと。著書に「彼らのルーツ、 ブラジル・アルゼンチンのサッカー選手の少年時代」(実業之日本社/藤坂ガルシア千鶴氏との共著)がある。

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