ホセ・ペケルマンが見せた涙の意味 コロンビア国民の夢をかなえた知将

藤坂ガルシア千鶴

ドイツ大会では見せなかった涙

ブラジルに敗れた際、涙を見せたコロンビアのペケルマン監督。06年のドイツ大会で敗れた際には流さなかった涙には理由があった 【写真:ロイター/アフロ】

 ホセ・ペケルマンのあれほど悔しそうな表情を見たのは初めてだった。20年前、アルゼンチン代表の育成部門の責任者に抜擢(ばってき)されて以来、何度か間近で取材をさせてもらったが、その穏やかな人柄からいつも冷静で落ち着いていたホセが、歯を食いしばって天を見上げながら悔やむような、感情を顕にするところを見たことはなかった。

 私をもっと驚かせたのは、ブラジルの2点目が決まったあとに見せたその悔しそうな顔ではなく、試合後の様子だった。レポーターからの質問にひととおり答えたあと、「4500万人のコロンビア国民が今きっと拍手をしていると思います。彼らに何か言いたいことは」と聞かれると、口元を震わせ、泣き出したいのを我慢しながら「皆さんのことが大好きです」と一言だけ残し、涙と笑みを浮かべながらその場から立ち去ったのだ。

 ホセにとって最初のワールドカップ(W杯)となったのはアルゼンチン代表を率いていた2006年ドイツ大会。このときは、フアン・パブロ・ソリンやフアン・ロマン・リケルメ、エステバン・カンビアッソといった、ユース時代から育ててきた愛しい教え子たちを引き連れていたにも関わらず、敗退したときに涙を一切見せなかった。また、泣くのを堪えている様子さえなかった。
 それなのに、コロンビアの敗退が決まったあとで、ホセは涙を見せた。試合中に見せた悔しそうな表情よりも、ずっと意外な姿だった。

全選手のデータを集め最強チームを考える

 悔しかった理由はよく分かる。それについては、ホセ自身もはっきり説明している。
「(ブラジルに負けて)とても残念です。私たちはこの試合に勝てるという希望を抱いていましたが、セットプレーから2点を奪われてしまいました。この(W杯準々決勝の)ような試合でそれは決定的なことです。でも、これがサッカーというものなのですから仕方がありません」

 セットプレーで失点を許すことがホセにとってどれほど悔やまれるものなのかを理解してもらうためには、彼がどのようにチームを作り、準備をするかについて知ってもらう必要がある。

 ホセの下には、彼がアルゼンチンから連れてきた専属スタッフがいる。第1アシスタントのネストル・ロレンソと第2アシスタントのパブロ・ガラべージョは、ユース時代にアルヘンティノス・ジュニオルスでホセの指導を受けたことがある元教え子コンビ。
 ヘッドコーチのパトリシオ・カンプスは90年代にアルゼンチンリーグで活躍した元ストライカーで、フィジカル・コーチのエドゥアルド・ウルタスンは06年、当時アルゼンチン代表監督だったホセの下でW杯を体験。このほか、メンタルケアを担当する心理学者マルセロ・ロッフェ、そしてデータの収集と分析を担うガブリエル・ワイネルという人物がおり、いずれもホセが全面的な信頼を寄せるスタッフだ。

 ホセが2012年1月にコロンビア代表監督に就任した際、最初に行った仕事は、ワイネルに頼んでコロンビア国籍を持つプロ選手たちのデータを可能なかぎり集めることだった。代表歴を持つ選手たちから始まり、代表には招集されたことのない国内外のリーグ戦でプレーする選手の細かい情報を収集し、厳選された新鮮な食材で最高の料理を作り上げるように、その時点で最強のチームを構成するためのデータベースを作らせた。

 どのような選手なのか、どのポジションでプレーするか、どんなプレーを得意としているのか、何が苦手か、どれくらいの速さで走るのか、テクニックはどの程度か。個々の選手の細かい情報をそろえることにより、対戦相手のスタイルや試合会場の気候など、それぞれの状況に応じてベストの布陣を作るだけの準備を整えたのである。

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著者プロフィール

89年よりブエノスアイレス在住。サッカー専門誌、スポーツ誌等にアルゼンチンと南米の情報を執筆。著書に「マラドーナ新たなる闘い」(河出書房新社)、「ストライカーのつくり方」(講談社新書)があり、W杯イヤーの今年、新しく「彼らのルーツ」(実業之日本社/大野美夏氏との共著)、「キャプテンメッシの挑戦」(朝日新聞出版)を出版。

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