絶対的エースが直面した人生最大の挫折 それでも本田圭佑は前を向く

元川悦子

「非常にみじめだが、これが現実」

コートジボワール戦では先制ゴールを挙げる活躍を見せたが、4年前のようにチームの快進撃にはつながらなかった 【写真:ロイター/アフロ】

 この4年間、ふがいない戦いをした後の本田は、ミックスゾーンで記者の問いかけに答えることなく、無言で去っていくことが多かった。だが、「W杯優勝」を公言し、「自分たちのサッカーを貫いて勝つ」と口癖のように言い続けながら、勝ち点1でグループ最下位に終わった今大会の責任を、彼は強く感じたはずだ。「自らが発信する必要がある」と覚悟した本田は、大勢の記者の前でこう切り出した。

「話すとキリがないですけど、細かいところの積み重ねで向こうの方が自分たちを上回っていたし、こっちはチャンスを決めることができずに、向こうは決めたと。そこに総括されると思います。自分が言ったことに対しての責任もありますし、とにかくこれが現実。非常にみじめですけど、すべてを受け入れてまた明日から進んでいかないといけない。僕が言うことの信用も当然ながら下がるし、この悔しさを生かすしかないのかなと。自分にはサッカーしかないし、自分らしくやっていくしかやり方を知らない……。また前を向いて進んでいきたいと思います」と、彼は自らを奮い立たせるように言葉を発した。

 ザッケローニ監督がこの4年間、攻め勝つスタイルを継続したのも、本田や長友佑都ら主力の意思による部分が大きかった。「南アフリカと同じことは繰り返したくない」と長友もことあるごとに語っていたが、4年前の不完全燃焼感があまりにも強かったからこそ、彼らは攻撃的戦いをあえて推し進めようとしたのではないか。昨年10月のセルビア・ベラルーシ遠征でチームが危機に瀕した時も、彼らが中心となってミーティングを開き、方向性を貫く確認をした。そこまで主導的な立場を取ってきた本田は、ゴールを奪ってチームを勝たせる重責を担っていたのだ。

 コートジボワール戦ではそのノルマを果たした。前半16分に奪ったワールドクラスの一撃はチームを活気づける効果が十分あったと思われた。前からの献身的な守備、前線でタメを作る仕事を含め、コンディション不良を懸念されていた本田は「初戦によくここまで上げてきた」という前向きな評価も受けた。しかし、貴重な1点は南アフリカの時のようなチームの快進撃につながらなかった。ギリシャ戦では押し込みながら決め手を欠き、コロンビア戦ではバイタルエリアで仕事をさせてもらえない……。得点への鋭さも影を潜め、最後まで本来の本田圭佑を世界にアピールすることは叶わなかった。所属するACミランでもう少し試合に出て、万全の状態でブラジルに来ることができていたら……。本人の中にも悔やんでも悔やみきれない部分はあるはずだ。

4年後を目指す意思を明らかに

 彼らが強くこだわった「日本らしいスタイル」への批判も高まっている。本田自身も「(やってきたことが間違っていたのではないかという)議論は日本サッカー界で大きくされていくと思う。それはこの結果なんでしょうがない」と素直に受け止めている。だからといって、再び南アフリカの時のような自陣に引いて守り倒すようなスタイルに戻ってはならないという信念もあるようだ。

「負けたんで、何を言っても『負け犬の遠吠え』になってしまうんですけど、やはりこういうサッカーで勝たないと見る人も魅了されない。勝ってないんで『何、言ってんねん』という話になるんでしょうし、大きく議論はされるでしょうけど、僕はこのスタンスで行くことが、個々の選手の成長にもつながると思ってます。このスタイルを継続することで、多くのものを失うことになる可能性はある。でも、それをまた取り返していかないと。日々の精進で1つひとつまた結果を積み重ねることによって、またみなさんにね、日本代表、日本のサッカーという船に乗ってもらえる日が来ることを信じてやるしかない。また1から精進してやっていきたい。強気しか僕には道はない」と本田はキッパリ言いきった。

 噂されていた代表引退を完全否定し、彼は2018年ロシア大会を目指す意思も明らかにした。24歳から28歳になるこの4年間にも、右ひざや左太もも、左足首など相次ぐ負傷に悩まされ、体調不良にもさいなまれた。憧れのクラブだったミランに移籍を果たしたものの、納得できる活躍はできていない。32歳までの4年間にはどんないばらの道が待っているか想像もつかない。日本代表のスタイルも彼が言うような方向に進むかどうかも定かではない。が、ブラジルで味わったサッカー人生最大と言ってもいい屈辱を晴らすためには、戦い抜くしかない。

 それこそが、本田圭佑の生きざまだ。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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